カテゴリ:食のサロン( 68 )
食のサロン その68 《江戸・東京 食事情 ⑫ すきやき 》2015.12

牛肉食べぬは開けぬ奴といわれ文明開化の代名詞のようにもてはやされた食べ物がすき焼きである。
肉食文化が無かった日本人に合った食べ物としてもてはやされた。高村光太郎は「米久の晩餐」として鍋を囲み、すき焼きを食べる様子を詩に残している。
この米久は浅草に今もある老舗すき焼き店の事である。
近江の国で米屋を営んでいた竹中久次が近江から牛を引いて上京し牛鍋屋を開業したのが始まりとされている。
関西では鉄鍋で牛肉を砂糖と醤油で味付けし焼くように食すのが一般的である。
関東では牛肉を鉄鍋でネギ等の野菜と豆腐や白瀧と共に割り下を使いぐつぐつと煮込んでいわゆる牛鍋の状態で食べたようである。
今は関西、関東のこだわりはあるにしても双方の良い部分を取ってあまり東西の区別は無いように思われる。
初期のころは食べなれない牛肉をなじみのある味噌味の鍋で食べさせる店も多かったようである。
当時外国との窓口であった横浜には牛肉をぶつ切りにしてみそ味の鍋にして食べる「太田なわのれん」と言う店が今も営業している。明治のころは店名に今と言う文字を冠した牛鍋店が多くあった。
これは東京で初めての、と場が開設された今里に由来すると言う説がある。
慶応3年(
1867)に横浜の中川屋嘉兵衛と言う人が現在の芝白金のあたり今里の地にと場を開設したと言う史実がある。
今里直送の良質な肉を提供する店として今と言う字を冠したと言う話である。
後にそう言う店の中から暖簾分けされた店も今の字を使用した事であろうと想像できる。
新橋の今朝、浅草今半、人形町今半等が代表であろうか。
俳優であり歌手でもある加山雄三は年齢を重ねても若く元気である事にいつも感心するがそのスタミナ原は肉好きゆえであるらしい。代表作として若大将シリーズの映画があるが主人公の実家が老舗すき焼店として登場する。
頼まれたら嫌とは言えない正義感で行動的な若大将のイメージにはすき焼店の息子のイメージが合うのかもしれない。
都内には今も老舗すき焼店は多い。
明治創業の老舗としては東大生に愛された湯島の江知勝、江戸時代に犬のチンを扱う商売をしていた事を屋号にした浅草のちんや、牛佃煮が評判の日本橋の伊勢重等がある。
小堺化学工業㈱本社のある人形町では牛肉販売でも有名な日山のすき焼きが評判で水天宮参りや明治座での観劇帰りの客でにぎわっている。
坂本九の歌う上を向いて歩こうがアメリカでスキヤキソングと言われ全米ヒットチャートで1位になる大ヒットとなった事を記憶されている方も多いと思う。
アメリカで牛肉を使った日本料理としてのすき焼きのイメージが良かった事で相乗効果があったのかもしれない。
もっとも作詞を手掛けた詠六輔はアメリカでのヒットには複雑なものがあったように聞いている。
歌のヒットと共に元の歌詞を離れ英語の歌詞がいくつも作られて行く。
中には芸者ガールと共に食べたすき焼きが忘れられないと言うような事に成れば当然かもしれない。

          文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣


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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:59 | 食のサロン
食のサロン その67 《江戸・東京 食事情 ⑪ 料亭 》2015.11

江戸も文化文政の頃になるとグルメブームも到来し料理茶屋から料亭と言われる大きな料理店が登場する。
日本橋の料亭「百川」で巻起る勘違いによる騒動を面白おかしく話にした百川と言う落語がある。
オールドフアンなら昭和の名人三遊亭圓生の名口調を思い出す。

この百川は実在した料亭でペリー来航時に幕府の命により八百善と共に料理を提供したと史実に残っている。
圓生は落語「百川」の枕で日本橋浮世小路、鰹節で有名な「にんべん」のあたりに有った料亭と語っている。
百川と共にペリーに料理を提供したもう一軒の料亭が八百善である。
数ある江戸の料亭中で最も有名な一件と言える。
八百善4代目の残した料理本「江戸流行料理通」は八百善料理通と言われ現代にも通じる料理教本であると同時に江戸の料理と食文化を今に伝える貴重な書物である。
この八百善には数々の逸話が残っている。
ある粋人が八百善に上がり色々な物を食べ飽きたのでと茶漬けを所望したところ散々待たされた挙句代金が1両2分と言われる。
確かに美味しい茶漬けではあったがそれにしてもと尋ねると。
茶漬けに添えた香の物は当時春には珍しい瓜と茄子。
茶は宇治の玉露に米は越後の一粒選り。
時間が掛かったのは茶漬けに使う水を玉川上水の取水口まで早飛脚に汲みに行かせたとの事であった。
浅草の山谷にある八百善から玉川上流までと言うのは少々オーバーな様にも思えるが、高級を売り物にし、使用する水や食材にもとことんこだわった八百善ならではの逸話である。
この江戸を代表する料亭を訪れた歴史上の人物は多い。
江戸期には将軍徳川家斉も訪れた記録が残っている。
4代目栗山善四郎とは深い交友があり常連とされている酒井抱一や太田蜀山人、谷文晁。
葛飾北斎、渡辺崋山、幕末には天璋院篤姫、勝海舟。
明治の頃には木戸孝允、山縣有朋。文壇では森鴎外、芥川龍之介、菊池寛。
永井荷風はここで結婚式を挙げた記録が残っている。
時代を経て八百善も関東大震災で山谷の建物全てが焼失しその後も戦災による被害を受ける。
戦後はいくつかの地を経て銀座の共同ビルの地下に店を構え割烹家八百善として変わらぬ江戸の味を伝えていた。
真薯や魚素麺、白瓜の雷干し、デザートの白玉等八百善の名物料理が提供され予約もせずに訪れても嫌な顔をせず老舗としての接客対応をしてくれた物である。
その後新設された両国の江戸東京博物館に出店し銀座店は閉店された。
博物館を訪れる客にリーズナブルな江戸料理を提供していたがこちらも閉店し現在は八百善の店舗は無い。
現代において見栄えの良い京風料理が一般受けをする。
反面見えない処に手間暇をかける江戸料理は採算面等理解してもらう事が難しいのかもしれない。
東京でも日本料理店は京風料理全盛で江戸伝統の料理を提供する料理店は少なくなり残念に思うのは江戸っ子の僻みであろうか。
江戸料理の旗手であった店は無くなっても八百善の江戸料理は現在10代目栗山善四郎に伝わりさらに11代目に伝承されていると聞く。


                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣



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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:52 | 食のサロン
食のサロン その66 《江戸・東京 食事情 ⑩ どぜう 》2015.10

泥鰌(ドジョウ)は江戸庶民には好まれた食材である。
田圃の多かった当時には手に入りやすい食材でありかつ生かして飼っておく事が出来るため保存も出来ると言うことであろうか。
暑い夏に生命力の強いドジョウ鍋を食べて夏を乗り切る。
江戸時代から暑い時期には熱いドジョウ鍋を食べて暑気払いをしていた。
俳句の季語でもドジョウ鍋は夏の季語となっている。
もちろん冬の寒い日に食べるドジョウ鍋もおつなものである。
特にドジョウ鍋に付き物の輪切りにしたネギは冬には甘みが増して美味となる。
いずれにしても懐具合をあまり気にせずにタンパク質が取れるし丸ごと鍋にすればカルシウムもたっぷりである。
以前は町の魚屋でも生きたドジョウを売っていた物であるが今はドジョウと言えばペットショップで売られているらしい。
残念ながら家庭でドジョウを料理する事は殆ど無くなってしまったようである。
ドジョウ料理専門店と言えば浅草の「駒形どぜう」が有名である。
店の造りが江戸情緒をかもし出していると言う意味ではこの店の右に出る食事処は少ないと思う。
ドジョウでは4文字となり縁起を担いで「どぜう」と言う字を当てて店名にしたと言う事で本来の店名は越後屋と言うらしい。
ドジョウ料理に「どぜう」の文字を充てる店は多いがこの店が元祖であるようだ。
ドジョウの姿をそのまま使う丸鍋の他、柳川鍋や独特の味噌を使ったどぜう汁も評判が良い。
同じく浅草には「飯田屋」と言うドジョウ料理専門店がありこちらも明治創業の老舗である。
映画「男はつらいよ」のロケに使われた事でも知られている。
叔父の寅次郎が甥の満男に初めて酒を教える設定に使われた。
江東区高ばしの「伊せ喜」にはドジョウを割いて骨を取ったいわゆるヌキ鍋にしてすき焼き風に溶き卵を付けて食べる独特の食べ方のどぜう鍋がある。
こちらも江戸情緒の残る店内でその情緒に浸りながら料理を楽しむ事が出来る。
下町墨田区にも「ひら井」「桔梗家」と言う有名店があり繁盛している。
ドジョウ料理のひとつ柳川鍋は九州福岡の水郷、柳川の地名から料理名になったとされる。
こちらはササガキゴボウとの相性が良い。
骨も無くゴボウと山椒で泥臭さを消して食べる料理なので誰にでも食べやすい。
その他老舗のドジョウ料理店ではドジョウの蒲焼や唐揚げ等のドジョウ料理を提供している。
庶民の味であったドジョウも昔懐かしい味となりつつあるが江戸下町の食文化としても残して行きたいものである。
庶民派を売り物に我が国の首相が自らをドジョウと称したのもドジョウの響きが持つ素朴で親しみのあるイメージからであろうか。


                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣


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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:45 | 食のサロン
食のサロン その65 《江戸・東京 食事情 ⑨ とり 》2015.9

池波正太郎の時代小説鬼平犯科帳には当時の江戸の食べ物が紹介されているがその中で物語中の重要な舞台として五鉄と言う軍鶏鍋屋がある。
TVシリーズの鬼平犯科帳では中村吉右衛門演じる主人公の長谷川平蔵がその密偵たちと軍鶏鍋を囲んでのシーンが度々登場する。
当時から鶏肉はご馳走として食べられていたらしく事実江戸期より創業の鳥鍋屋も都内には残っている。
この五鉄のモデルと言われている店が都内に2件あるらしい。
作者に贔屓にされていたと言う事からも参考にされたであろう事と想像される。
一件は両国橋近くにある「坊主軍鶏(ぼうずしゃも)」で主人が仲裁に入り喧嘩を納めるために頭を坊主にしたと言う事から「坊主軍鶏」が店名に成ったと言われている。
もう一軒も墨田区にある「かどや」でこちらは水炊きや味噌鍋等で鶏肉を味わえる。
昭和40年代ごろまでは東京下町には各町内に鶏肉専門店がありご馳走としての水炊きや安上がりで栄養のある鶏モツの煮込み等良く家庭の食卓でも食べられたものである。
鶏モツの中にはキンカンと呼ばれ果物のキンカンに似た卵として産み落とされる前の卵黄にあたる物が含まれていたのも思い出される。
最近は
B-1グランプリなる大会があり山梨県甲府のご当地B級グルメとして鶏モツの煮込みが1位に成ったのは記憶に新しい。
若い
B級グルメファンには斬新に感じられたようでもあるが昔は似た様なものが東京下町等でも良く食べられていたような気がする。
山に囲まれた盆地である甲府では鮮度の良い魚が手に入りにくく鶏モツ煮が食文化として残った物と思われる。
主に蕎麦店のメニューとして食べられていたと言う。
東京で有名な軍鶏鍋屋としては神田連雀町の「ぼたん」、上野池之端の「鳥栄」がありいずれも風情のある建物とそれぞれの特色ある軍鶏鍋で客を迎えてくれる。
小堺化学工業㈱本社のある人形町にも歴史のある鳥料理店として「玉ひで」がある。
こちらも軍鶏鍋店であるが昼の親子丼を目当ての客が行列を作る光景は人形町名物となっている。
ちなみに最初に親子丼を考案したのもこの店とされている。
寒い冬に目の前で煮込まれる軍鶏鍋を思い浮かべれば江戸っ子ならずとも思わずよだれが出てくると言う物である。
少し余談になるが鶏の水炊きは九州博多の名物であり発祥の店は「水月」とされる。
「水月」では水炊きのスープは濁らさないよううまみを出して透明に仕上げる。
同じく有名店の「新三浦」では肉や骨から出るコラーゲン質で白濁したスープを使う。
「水月」のように透明なスープの水炊きを「みずたき」と呼び「新三浦」のような白濁したスープを使う水炊きを「みずだき」と濁って発音すると言うのも博多ならではの事で面白い。
   
                                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣



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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:28 | 食のサロン
食のサロン その64 《江戸・東京 食事情 ⑧ 洋食 》2015.8

トンカツの話の冒頭で「和製洋食」と言う言葉を使ったが、我が国で言う「洋食」とは当初は西洋料理を指していたと思われる。
しかし、現実にはオムライスやスパゲッティナポリタン等どこの国へ行っても、日本の洋食にあたるこれらの料理は存在しない。
とんかつと同じように、食の歴史の中で生まれた我が国オリジナルの料理であり、その意味では今日言われる「洋食」は日本食のジャンルと言える。
明治以降に我が国で考案された料理であれば当然発祥とされる店や、考案者とされる人がいる。
記録等定かでない部分はあるが一般的に伝わる話を紹介する。
「スパゲッティナポリタン」はナポリ生まれではなく横浜のホテルニューグランドが発祥とされる。
当時の料理長が進駐軍のコックが作るトマトベースのスパゲッティにヒントを得て、ケチャップを使ったスパゲッティを考案したのが始まりらしい。
「ハヤシライス」はハッシュドビーフにヒントを得て考案され、ハッシュドライスからハヤシライスとされたと言う説がある。
もう一つ書店として有名な丸善の創業者林有的が名の由来と言われる「ハヤシ(林)ライス」説がある。
林有的は、ヘボン式ローマ字で知られ医者であるヘボン博士に師事した。博士より当時不足していた医学書、薬学書を始めとした洋書と薬品を輸入するよう進められ、西洋貿易を行い西洋料理にも通じていたとして知られる。
「ケッチャップライス」を薄焼き卵で包んだオムライスは大阪の北極星と言う店が発祥と言われている。
東京の創業が古い洋食店の中には上野の「精養軒」、日比谷の「松本楼」等の大型店があり、そこでコックの修業をした人たちが各地で店を開業した。
それらの店が地域の洋食店として洋食の普及に貢献する事となる。
天皇の料理番と言われた秋山徳蔵も、料理長を務めていた事のある「東洋軒」は既に無いがその支店であった三重県津市の「東洋軒」が伝統の味を守っている。
日本人になじみのない西洋料理を日本人向けにアレンジした洋食は、味だけではなく提供する店構えも和の要素を取り入れている。
今は少なくなってしまったが、昭和の頃までは座敷で畳に座って食べる洋食屋があちこちに結構あった。
もちろんトンカツ屋は、座敷に座って箸で食べるスタイルが当たり前のように思い浮かぶ。
小堺化学工業㈱本社のある人形町には座敷で食べる洋食屋として「芳味亭」「来福軒」等が今も変わらぬスタイルで繁盛している。
2011年創業80年を迎えた日本橋の「たいめいけん」は、お料理110番として一般の人から料理に対する質問に親切に答え、洋食の普及に努めて来た。
年配者から色々と食べたいが沢山の量は食べられないと話を聞き、小皿に色々な種類の洋食を少量盛った小皿料理を提供して、今も店の看板料理となっている。
伊丹十三監督の映画「タンポポ」ではケチヤップライスにオムレツを乗せてそれをナイフで開いてトロトロのオムライスとする「タンポポオムライス」が考案され店の名物となる。
洋食店なのにラーメンもメニューに加えこちらも評判を得ている。
アイディアを持って新しい試みを成功させる事でも知られている。
西洋料理を日本風にアレンジして日本人の物と成った洋食は、歴史を経てクラッシックとなったがこれからも進化を続けて行くのだろうか。


                        文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣







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by kosakai_blog | 2015-08-11 21:52 | 食のサロン
食のサロン その63 《江戸・東京 食事情 ⑦ かつ》2015.7

江戸時代から伝わるわけではないが明治以降東京人に指示され続けている食品にトンカツがある。
トンカツは日本人が工夫して作られたとされその意味では和製洋食と言うジャンルになるのだろうか。
豚肉にパン粉を付けてフライするコートレットにヒントを得て天麩羅のように油の中で泳がせるように揚げたのがトンカツの始まりと言われている。
「喜劇とんかつ一代」と言う映画の中で森繁久弥演じる主人公がトンカツの始まりはポンチ軒と話すシーンがある。
このトンカツ発祥の店が東京上野にあったポンチ軒と言うのが広く伝わる話であり、そのせいか上野にはトンカツの美味しい店がそろっている。
その中でも、本家「ぽん多」「双葉」「蓬莱屋」が特に有名でトンカツ御三家と呼ばれている。
これに井泉本店を加えて四天王と言う人もいるらしい。
本家「ぽん多」はロース肉の脂身を取り除いた後肉をたたいて柔らかくして揚げる。
「双葉」は厚切りのロースカツで食べ応えがある。
「蓬莱屋」はヒレカツの元祖とも言われ大きなヒレカツが名物である。
小津安二郎の名作映画「さんまの味」に登場するトンカツ店はこの店と私は思っている。
井泉本店はカツサンドを最初に作った店と言われている。
かつてコロッケが庶民のおかずの定番だった頃、トンカツは憧れの食べ物であった。
子供の頃揚げたてにたっぷりのソースを掛け、山盛りのキャベツと共に食べるトンカツは最高のご馳走だったように思う。
上野の隣浅草にもトンカツの名店は多い。
元祖焼きカツの桃太郎。
東京で最も古くヒレカツを作ったと言われる「きた八」。
肉と肉の間に色々な物を剪んで揚げる変わりカツの「カツ吉」。
多くのフアンを持つ「ユタカや杉田」。
今は閉店してしまったが映画「男はつらいよ」のロケにも使われたナタ切りトンカツの店も懐かしい。
その他都内の有名店は、目黒の「とん喜」、新宿の「王ろじ」、名を上げればきりが無い程である。
最近は薄くスライスした豚肉を重ねて、パン粉を付け揚げる店もある。
「鹿児島産黒豚」、「東京
X」や「三元豚」等銘柄豚を使ってのトンカツも評判が良いようである。
トンカツ専門店ではないが銀座にある「レンガ亭」は、ポークカツレツの元祖として知られる洋食店である。
銀座と言う土地柄ハイカラな洋食店として知られている同店だが、実は
3階には座敷があり、そこで座ってカツレツを食べる常連客も多い。
カツを使ったドンブリ物としてカツ丼も日本人に愛される国民食である。
早稲田にある「三朝庵」と言う蕎麦店がキャンセル等で冷めてしまったカツを、蕎麦汁で煮て温め卵を溶いて丼にして出したところ評判を呼んだのが始まりとされる。
そんな経緯がある為かカツ丼はトンカツ専門店のメニューでもあり、蕎麦屋のメニューの定番でもある面白い食べ物と言える。
カツ専門店のカツ丼としては銀座の「梅林」や新橋の「燕楽」等が美味しい店として知られている。

取調室で刑事が腹は空いてないかと、出前のカツ丼を食べさせてあげると犯人のかたくなな心が和らぎ、思わず犯行を自供してしまう。
そんな話は昔の刑事ドラマにありがちなシーンであり、今もバラエティ番組のコントなどにもよく登場する。
もちろんフイクションであり、視聴者はあり得ない話と思っていても変に納得させられてしまう。
カツ丼と言う食べ物の持つ不思議な魅力なのかもしれない。

※上野の「双葉」は廃業となっています。

                        文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣


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by kosakai_blog | 2015-07-11 21:26 | 食のサロン
食のサロン その62 《江戸・東京 食事情 ⑥ ちゃんこ鍋》2015.6

江戸時代に江戸で当時食べられていた最も美味しい物を表す「三鳥二魚」と言う言葉がある。
当時珍重された5種類の食べ物
(食材)が美味しい物の代表選手と言う事になるらしい。
三鳥とはツル、ヒバリ、バン、の野鳥。
二魚とはタイとアンコウの魚を指した物であったとされる。
この事からも江戸では色々な食材が食べられ、当時の江戸の人々が非常にグルメであった事が窺い知れる。
もちろん三鳥は保護されるべき野鳥でありツル、ヒバリ、バンは現代では食用にすることはまかりなら無い。
アンコウ(鮟鱇)は関東のフグとも言われ見た目はグロテスクな深海魚であるが骨以外余す所なく食べられる非常に美味な魚である。茨城県の大洗近辺では漁師たちが船の上で食べたとされる「どぶ汁」と呼ばれ野菜とアンコウから出る水分に肝を溶かして煮込む古くからの料理法が伝わっている。
アンコウの種類は20数種有るといわれている。
わが国では主にキアンコウ(本鮟鱇)とクツアンコウが食されるがメスに比べてオスは魚体が極めて小さく、通常食べられるのはメスのアンコウである。
漁期の関係もあるが肝の大きくなる冬場が旬となる。
表面がヌルヌルしてまな板の上では捌きにくいので吊り下げて解体する「吊るし切り」が伝統的な捌き方となる。
又捌いた部位を七つに分けこれを「鮟鱇の七つ道具」と呼ぶ。
地方による違いはあるようだが柳肉(身の部分
)、皮、肝、アゴ肉、ヒレ(とも)卵巣(ぬの)、

胃(水袋)、の7つの部位を俗に7つ道具と呼ぶようである。
それぞれの部位毎に異なる味や食感を味わう事が出来る。
美食の国フランスでもアンコウは良く食べられるが主に大身の部分が食されフォアグラより美味しいと言われる肝も含めて他の部分を食べる事は無いようである。
アンコウの肝は美味であるばかりでなく他の食品からは摂取しにくいビタミンDが多く含まれている。
ビタミンDがカルシウムの吸収に関与し骨や歯への沈着を助ける事は周知のとおりである。
関東でアンコウの漁獲量が多いのは茨城県で県内ではアンコウ料理が名物となっている。
水戸の料亭山口楼、郷土料理の山翠などが評判であるが大洗海岸や五浦海岸にもアンコウ料理を売り物とする旅館や飲食店が多くある。
東京にある唯一のアンコウ料理専門店は神田連雀町の「いせ源」である。
天保元年の創業とされるが創業当時はドジョウ屋であり、その後各種鍋料理を提供しその中で評判の良かったアンコウ鍋を中心にアンコウ料理専門の店となったと伝わっている。
昭和初期の建物は東京都歴史建造物にも指定され風情が有る。
秘伝の割りしたで煮立てるアンコウ鍋の他、唐揚げや肝刺し、ともあえ、等のアンコウ料理が楽しめる。
大振りの良いアンコウが入手されればアンコウの刺身も提供される。
寒い日に鍋の締めに食べる「おじや」も格別である。

                         文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣




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by kosakai_blog | 2015-06-11 21:12 | 食のサロン
食のサロン その61 《江戸・東京 食事情 ⑤ ちゃんこ鍋》2015.5
東京両国は江戸相撲発祥の地である。
東京において大相撲の本場所の開催をする国技館は一時浅草蔵前にあった時期もあるが今は両国のシンボルとなっている。
相撲の町両国にはちゃんこ鍋の店が多くある。
本来ちゃんことは相撲取りが食べる食事を表す呼び方で鍋以外の料理でも相撲部屋で作られ部屋の力士がそろって食べればハンバーグも唐揚げもちゃんこと言う事になるらしい。
角界以外の一般人のイメージでは相撲部屋で力士が食べている鍋料理と言う事になる。
相撲部屋で作られるちゃんこ鍋は大勢の力士の食欲を満たす料理としては手軽に早く作れると言う利点に加え肉、魚、野菜等栄養のあるものをバランスよく食べられる。
稽古をしながら食べて体を大きくし体力を付けて行くにはもってこいの料理と言える。
部屋毎に自慢の鍋があり、一般的にはその部屋の親方の出身地方の郷土料理等にちなむ物が多いようである。
ちゃんこ料理店は力士が引退後に店を構える事が多く、所属していた部屋で食べられていたちゃんこ鍋がその店の看板メニューとなる。
中には現役時代相撲はあまり強くなかったが、ちゃんこ料理の腕を磨いて店を出し成功している元力士もいる。

両国で評判の良いちゃんこ店を上げてみることにする。

【ちゃんこ巴潟】
褐色の弾丸と言われた元小結巴潟の9代友綱親方が開いた店。
ちゃんこ鍋の種類によって太刀山、国見山、矢箸山、巴潟と部屋所縁の力士の名前が付けられている。
【割烹かりや】
創業者が元出羽海部屋の力士で出羽海部屋伝統のちゃんこ鍋が看板の老舗。
【ちゃんこ川崎】
大正から昭和初期に活躍した横手山が開いたちゃんこ店。
ソップ(鶏ガラ)炊きのちゃんこ鍋が評判の有名店。
【割烹吉葉】
横綱吉葉山が興した宮城野部屋を建物そのままにちゃんこ店として利用し日によっては相撲甚句を聞く事もできる。
実際に使っていた稽古土俵もあり相撲部屋の雰囲気を味わいながら食事ができる。
【ちゃんこ料理霧島】
元大関霧島の陸奥親方が開いた店。
醤油、味噌の他キムチ鍋もある。
【相撲茶屋寺尾】
井筒部屋三兄弟の次男元十両の鶴嶺山の店。
父親は鶴ヶ峰、長男は逆鉾、三男は寺尾と言えば相撲フアンには懐かしい。

これらちゃんこ店は関取衆も多く利用しており現役力士の姿も良く見かける。
ちなみに寺尾では日本相撲協会理事長当時の放駒親方一家を見かけた事がある。
ちゃんこ料理店では大相撲の番付を客の手土産に持たせてくれる店も多くこれも相撲ファンにとっては嬉しい物である。
力士に出会うとその体格の良さに圧倒されるが大きく強くなれるのもちゃんこ鍋のおかげと言えるのだろうか。
それはさておき贔屓力士の話し等相撲談義をしながら食べるちゃんこ鍋は格別の物があるような気がする。角界も最近は外人力士全盛となっているが、相撲の町両国にも引退後郷土の味としてバーベキューやジンギスカン、モンゴル料理店等を出店する外人力士も出てくるのだろうか。
   
                                     文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣
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by kosakai_blog | 2015-05-11 20:51 | 食のサロン
食のサロン その60 《江戸・東京 食事情 ④ イノシシ》2015.4
江戸時代獣肉を食べると言う事は仏教の考えからも無かったとされている。
しかし実際には江戸庶民から大名に至るまで結構食べられていた事実がある。
いわゆる精を付ける為の薬食いである。
落語藝術協会初代会長を努めた名人六代目春風亭柳橋の得意ネタの一つに「二番煎じ」と言う話しがある。冬の夜に火の用心の夜回り当番となった面々が猪なべで酒盛りを始めてしまい、見回りに来た奉行と騒動を起こす話である。
この話にあるように江戸庶民も体が温まる食べ物として猪肉を食べていたらしい。
実際に江戸の町中には獣肉を専門に食べさせる料理店も多くあったようである。
歌川広重の名所江戸百景、「びくにはし雪中」の絵の中には「山くじら」の看板が大きく描かれている。
比丘尼橋(びくにはし)は今の銀座付近、外堀と京橋川の接点に架かっていた橋と言われている。
看板の山くじら(山鯨)は猪肉の事で、獣肉一般の異称であったとされる。
獣肉を食べさせる店を「ももんじ屋」と言いこれは百獣(ももんじ)を表し江戸にはこの「ももんじ屋」として営業する店が結構あったと伝えられている。
食べ方としてはネギ等を加えて味噌仕立ての鍋で食べる事が多かったようである。
猪肉は牡丹、鹿肉は紅葉、とも呼ばれる事がある。
猪はその肉が牡丹の花のような色をしている事からそう呼ばれ、鹿は花札に描かれている鹿に紅葉の絵からそう呼ばれたと言われている。
三十六歌仙の一人、猿丸大夫の「奥山に モミジ踏みわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」と言う歌に由来するとの説もある。
今に残る都内で獣肉を食べさせる店としては、両国橋の袂にある「ももんじや」が上げられる。
江戸時代より300年続く獣肉料理専門店である。
店頭には猪の剥製がぶら下がりメニューには鹿肉の刺身やタタキ、猪鍋、熊鍋等野獣肉の料理が並ぶ。
以前は狸汁(タヌキじる)も客に出していたが今はメニューから無くなってしまった。
この店でしか食べられない料理であったので残念であるが、独特の臭いがあったので客の注文が少なかったのかもしれない。
猪肉はやはり鍋にして食べるのが一番美味しいようである。
特製の味噌と割り下でじっくり煮込み、脂の部分がアメ色になった頃が食べごろである。
この店では好みにより唐辛子や粉山椒を振って食べる。
一般に肉類は煮すぎると硬くなるとされるが、猪肉は煮込んでも硬くならないらしい。
野生の猪は寄生虫がいる場合があるので良く煮て食べる必要もあるもかもしれない。
熊肉も同様である。
鹿肉は刺身で食べられるし鍋やステーキにしても美味しい。
こちらは火を通しすぎない方が軟らかくて美味しく食べられる。
今は冷凍にして保存する事が出来るがやはり冬の猟期で獲物が取れる時期が美味しい時期である。
この店の猪は、丹波篠山や三重の鈴鹿で仕留められた上質の物が使用されると言う。
12月に行われる秩父夜祭は地元秩父の最大のイベントであり多くの観光客で賑わう事でも有名である。
冷え込む秩父の夜を、祭り見物で過ごすのには名物猪汁は欠かせない。
夜祭見物をした人ならきっと寒い夜は猪肉で暖を取ると言う事を実感するのではないだろうか。

                              文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣
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by kosakai_blog | 2015-04-23 18:09 | 食のサロン
食のサロン その59 《江戸・東京 食事情 ③ あさり》2015.3
日本5大名飯なるものがあるらしい。
埼玉県小川町の「二葉」と言う割烹旅館で、そこの名物「忠七めし」と言う茶漬けを食べた時に5大名飯のひとつだと聞いた。
宿の主人が山岡鉄舟に「調理に禅の心を盛り込め」と言われて創作されたいわれが有るとの話であった。
飯の上に盛られたワサビ・海苔・柚子が、剣・禅・書を表現していると伝えられている。
5大名飯の他の4つは、島根県津和野の「うずめ飯」、岐阜県の山岳地方の「さより飯」、大阪難波の「かやく飯」、東京深川「深川飯」との事である。
聞くところによると、昭和14年に宮内庁全国郷土料理調査によって選ばれたらしいが選考基準などは良く分からない。
そのひとつとされる「深川めし(深川飯)」は昔、深川付近で取れたアサリのむき身を味噌汁風にしてぶっ掛け飯として食べられていたと伝えられる。
私の記憶では以前は深川めしを料理として出す店は殆ど無かったが、深川江戸資料館が着工されるとその前に「深川宿」という深川めしの専門店が出来て開館された資料館帰りの客で賑わった。
やがて深川めしブームが起こり、付近には何件もの深川めしを看板とする店が出来、互いに味を競っている。
中には以前蕎麦屋を営んでいたが「深川めし専門店」に商売変えしてしまった店もあるが、ここも工夫をしていてなかなかの味である。
深川の「みや古」と言う割烹料理店は魚介類が美味しい店であるが、炊き込みご飯の深川めしを以前から客に出していた。
こちらは下町の職人が忙しい仕事の合間に「ぶっ掛け飯」としてかっ込んだ言われる深川めしとは異なり上品な「深川めし」となっている。
現在はこのタイプの「深川めし」と「2種類の深川めし」を提供する店も増えてきている。
同じ江東区の亀戸には江戸野菜の「亀戸大根」があり、アサリとこの大根を使った「亀戸大根あさり鍋」として名物にしている店がある。
亀戸天神近くにある「升本」と言う割烹料理店である。
「亀戸大根」は小ぶりの人参程の大きさの大根で、江戸時代には亀戸村付近が産地であった。
一時生産する農家も無くなったが、今は葛飾区の数件の農家が生産をしている。
これと当時良く食べられていた「アサリ」を合わせて鍋としたところがミソであろう。
「亀戸香取神社」には「亀戸大根発祥の地の碑」が建っている。
アサリを使った鍋を「深川鍋」と呼ぶ事もある。
江戸っ子の朝ごはんには、アサリの味噌汁やアサリの佃煮は一番のご馳走であった。
「アサリ~シジミー」の売り声と共にアサリ売りシジミ売りと言われる商人が、町内を売り歩いていた時代もあった。
悪さをして年寄に叱られた口の減らない子供が、アサリ売りの売り声をまねて「アッサリ~シンジメー(あっさり死んじめー)」とやり返す。
そんな小噺があったのもそんな時代ならではの話である。
館内に深川浜が再現されている「深川江戸資料館」には、昔懐かしいアサリ売りの売り声が流れている。

                         文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣
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by kosakai_blog | 2015-04-02 16:24 | 食のサロン



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