カテゴリ:食のサロン( 68 )
食のサロン その48 《江戸前鰻の話④ 鰻料理は国際色豊か?》
イギリスに嫁いでいる同い年のいとこがいて、イギリス人のご亭主との間に娘1人と息子2人の子供がいる。
ある時叔母の家を訪ねるとその息子2人が夏休みを利用して遊びに来ており、訪ねた私を連れだって鰻を食べに行くことになった。
ところが、このイギリス育ちの兄弟は鰻を食べる事が出来ずに鳥丼を食べると言う。
叔母の話によると以前日本で鰻を食べさせたところ、兄の方は食わず嫌いであったが弟は食べて美味しかったようであった。
いたずら好きの兄が鰻の蒲焼をヘビだと言って騒いだので、弟も食べなくなってしまったとの話である。
イギリスでも昔はテムズ川のウナギを細かくしてパイの具材としていた事もあるようだが、今は主流のビーフパイと名物キドニーパイと言う事になるらしい。
私の知るところでは、ドイツあたりではウナギの燻製を食べるし、同じヨーロッパでもオランダ・ベルギーではぶつ切りにして煮込んだウナギ料理は名物料理でもある。
ギリシャではアンギラスと言うウナギの稚魚をたっぷりのオリーブオイルでソテーして食べるが、近頃では高級料理と成ってしまい庶民の口に入らなく成っているようである。
美食の国フランスでは、ウナギ料理の種類も多いがワインで煮込むマトロットと言われる料理が知られている。
日本に来て初めてウナギを食べて好物となった外人さんも多いらしい。
浅草の老舗鰻店「色川」の主人によると、外人客も結構訪れるが面白いのは鰻重を食べる時に上の蒲焼だけを食べてしまい、次に残ったタレのしみたご飯だけを食べるような食べ方をする方が多いとの事である。
日本人のようにご飯に鰻をのせて一緒に口に運ぶような食べ方は思いつかないのかもしれない。
上野池之端の「亀や」と言う鰻店で食事をしていると、隣の席に外人さんが1人で入って来て鰻重とグリーンティを頼んだ。
店には緑茶が無くほうじ茶となる旨を中居さんが説明しようとするが、日本語が理解できない外人客が何度も注文をし直すがらちが明かない。
緑茶くらい出してあげられないのかと横で気をもんでも見たが、店にはあいにく緑茶を置いて無いようで最後まで緑茶は提供されなかった。
その外人にとっては鰻重とグリーンティは日本の味としてこだわりがあったのかもしれない。
神楽坂の「たつみや」と言う老舗鰻店の前で、若い娘さんが2人で何やら携帯電話をかざして写真を写すようなそぶりをしている。
私たちが店に入ると後から入って来て隣のテーブルに座った。
写真を取っていたのではなく、携帯サイトの画面で店の外観写真を見て目的の店かどうかを2人で確かめ合っていたらしい。
日本のお嬢さんと思っていたが、どうやら日本語が分からないようで注文の時も携帯画面で料理を確認しながらの注文であった。
料理を待っている間にハングル語のガイドブックを出して見だしたので韓国の方と察しがついた。
日本へ旅行したら、日本料理の鰻重を是非食べるようにと言われて来たのだろうかと勝手に想像をした。
思いだしたのはしばらく前までは韓国へ旅行すると、ウナギの革で作られた財布がお土産店で良く売られていた事である。
残念ながら韓国を訪れてウナギ料理を食べた記憶は無いのだが、ウナギの革を使った製品が沢山あると言う事は鰻を食べる習慣もあるのではと思われる。
しかし韓国の方が日本を訪れてわざわざ鰻重を食べると言う事は、蒲焼のような料理は無いのだろうか。
謎を解明すべく今度韓国を訪ねた時は是非ウナギ料理を探してみたい物である。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2014-03-31 16:55 | 食のサロン
食のサロン その47 《江戸前鰻の話③ 落語も鰻も庶民の文化?》
鰻屋の隣に住んでいた男が鰻の蒲焼を焼く匂いをおかずにして白いご飯を毎日食べていた。
ある時ケチで知られた鰻屋の主人が乗り込んできて当店の鰻の匂いでご飯を食べているのだから代金を払えと言う。
言われた男は平然としてお金をチャリンと投げ出して音だけ持って行け。
小噺であるが鰻を焼く匂いは香ばしく食欲をそそり、それだけでご飯が食べられるような気がするのも不思議ではない。
「江戸前の鰻の話」が出て来る古典落語は多くあり同じ「江戸前の鮨の話」が落語の題材に出てこない事に対して対照的である。
落語に出て来る鰻の話をいくつか紹介してみよう。
「鰻の幇間(たいこ)」は幇間(たいこもち)が金のありそうな旦那を見つけて、お得意のよいしょで持ち上げ鰻をご馳走してもらう事になるが、逆に騙されて飲み食いした鰻屋の代金やお土産代まで払わされると言う話。「素人鰻」は演者によって若干話の設定が変わる「鰻屋」と言う落語にもなるが、鰻職人が居なくなって鰻をさばけない店の主人が鰻相手に悪戦苦闘。
やっと捕まえた鰻がにょろにょろと手から逃れようとするのを追いかけて店の外に出て行ってしまう。
何処へ行くのかと尋ねられ「前へ廻って鰻に聞いてくれ」と言う落ちになる。
後生鰻は鰻屋がさばこうとする鰻を、通りかかったご隠居が過分の価格で買い取り川に戻して後生をする。
それに味を占めた鰻屋が何度も繰り返し鰻をご隠居に売り渡す。
仕事をしなくなった鰻屋が、売り渡す鰻が無く代わりに赤ん坊をさばくと言ってご隠居から多額のお金を巻き上げる。
ところが、このご隠居がいつもの鰻のつもりで川に赤ん坊を投げ入れてしまうと言うブラックユーモア的な落ちとなる。
これらの鰻の出て来る話は、江戸っ子が鰻好きであった事は想像できるが、残念ながら美味しそうな鰻は登場しないようである。
当時から庶民には高根の花であったのか落語「たがや」では、主人公の「たがや」が侍相手に「二本差が怖くて町を歩けるか、気の利いた鰻の蒲焼なら串を3本4本も刺してらぁ、そんな鰻食ったこたぁねぇだろう・・・おれも食った事が無い」と情けないたんかを切る。
「子別れ」でも真人間となった熊五郎が自分の遊興癖で分かれる事になった息子に出会い明日鰻屋で鰻をご馳走しようと約束をする場面がある。
真人間になって息子に鰻を食べさせる事が出来るまでになったと言う事を現している。
鰻好きとしては名人文楽や圓生、志ん生に落語の中で美味しそうに鰻を食べる処を演じてほしかったと思うのであるが、残念ながらそのような場面は話の中に存在しない。
落語家の中でも志ん生は鰻好きで知られていたがその息子の志ん朝は鰻を食べなかったと聞いた事がある。
志ん朝が惜しまれて世を去った後に実の姉がそのことに触れた話を記した書物を読んだ。
それによると実は志ん朝は鰻が大好物であったが、落語が上手くなるように誓いを立てて鰻断ちをしていたと言うのである。
稀代の名人であった志ん朝は天から授かった素質を持っていながら稽古に稽古を重ねた努力の人であったと分かり感慨深い。
過日麹町の老舗「秋本」で鰻を食べていると笑点でお馴染みの好楽師匠が一門と思われる落語家を引き連れて入って来て楽しそうに談笑しながら鰻を食べていた。
落語家ならずとも鰻を食べると笑顔になれるのは鰻好きの特権なのだろうか。

                                                       文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2014-02-27 18:16 | 食のサロン
食のサロン その46 《江戸前鰻の話② 鰻料理は蒲焼につきる?》
新種のウナギと思われる未知の古代ウナギが発見されたとのニュースがあった。
発見者はパラオ在住の日本人海洋生物研究家の坂上治朗で発見場所は西大西洋パラオ諸島の水深10数メートルの海底洞窟との事である。
9匹捕獲されたが成魚は黒褐色で全長20センチ一般的なウナギ類より脊椎骨の数が少なくずんぐりした体で、独立した尾ひれがあり特異な形態を持つ。
現存する約7千万年前のウナギ類最古の化石より原始的な特徴を持ち恐竜時代の姿をとどめているのではないかとされている。
ウナギは人類誕生の遥か以前から地球上に存在していた事になるが鰻好きの日本人は何時ごろから鰻を食していたのであろうか。
鰻が書物に登場した古い文献では和歌に詠まれた記録がある。
万葉集で知られる奈良時代の歌人大伴家持が吉田石麻呂に夏痩せに良い鰻を捕って食べてはどうかと言う意味の歌を詠んでいる。
痩せぎすであった石麻呂を家持がからかっての歌とも言われているが当時から既に鰻は滋養がある食べ物とされていた事が窺い知れる。
しかしその頃鰻はどのように調理されて食べられていたのかは分かっていない。
現在定番となっている蒲焼は江戸時代中期に関西の調理方をまねて江戸の職人が完成させたと言う説が一般的に言われている。
それ以前は鰻を筒状にぶつ切りにして切り口に串を刺して焼いていた物と思われる。
その時の姿が水辺にある蒲の穂に似ていたので蒲焼きとなったと言う説が蒲焼の語源であると諸説の中で定説となっている。
日本において色々な食材がある中で鰻ほど調理法が確立され定番となっている食材も珍しいのではないだろうか。
鰻を食べに行こうと誘われた人は間違いなく蒲焼かそれをご飯に乗せた鰻重、鰻丼をイメージするはずである。
誘った人ももちろんそれをイメージして、となるが他の食材ではそうはいかない。
たとえば牛肉を食べに行こうと言われたらある人は、すき焼き、又ある人はステーキ、焼肉やしゃぶしゃぶ、ローストビーフやビーフシチューを思い浮かべる人もいるかもしれない。
誘った人は実はハンバーグだったと言う落ちもあるかもしれない。
三重県の志摩に「川八」と言う色々な鰻料理を提供していた旅館があったがやはり最後は蒲焼に限ると言う結論になるらしい。
さて現在の鰻好きは鰻屋でどのような楽しみ方をするのであろうか。
まずは肝焼きにビールで喉を潤しながらウザク(鰻の酢の物)、う巻(蒲焼を芯に巻いた卵焼)の順に箸を運ぶ。次にお銚子と共に運ばれてきた白焼きにワサビを効かせて締めは好みで蒲焼とご飯か鰻重のどちらかを肝吸いと共に。
沿えられる香の物はもちろん奈良漬でなければならない。
これが鰻好きの思い描く鰻店での定番の食事と言う事になろうか。
東京下町には鰻より庶民の懐にいくらか優しいドジョウ専門店がある。
台東区浅草のドジョウ料理店「飯田屋」では私もそうする事が多いがドジョウ鍋を食べて締めには鰻重と言う客も結構ある。
江東区高橋の老舗ドジョウ料理店「いせき」ではドジョウの抜き鍋にすき焼きのように生卵を付けて食し締めに鰻の白焼き丼と言うのが私の定番である。
ちなみに抜き鍋とは鰻の蒲焼のように頭を落し開いて骨、内臓など除いたドジョウを用いる鍋である。
どちらの店も並みの鰻店ではかなわない鰻を提供していて鰻は専門店でと言う概念が時には崩される事もあり面白い。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2014-01-31 19:01 | 食のサロン
食のサロン その45 《江戸前鰻の話① 待たされて美味しい?》
鰻を食べに行って料理をせかすのは野暮な話で気の短い江戸っ子でも鰻が焼きあがるまでじっと待つものだ。
鰻屋ではそうあるものと年配者から教わった物である。
客の顔を見てから鰻を割いて串にさし素焼きにした後、蒸してからタレを付けて焼き上げるとなると時間が掛かるのは道理である。
そういう理由で鰻店では待つ事も苦にならないと言いたい処であるがそれにしてもと言う経験も随分ある。
南千住にある「尾花」は夏場には店の外に並んで店内に上がるまでだいたい1時間は掛かる。
日曜日ともなると更に30分の覚悟も必要になる事もあり店内に入ってからも注文をして蒲焼が提供されるまでに座敷で待つこと1時間とあいなる。
最近では並んでいる間に注文を受けに来てくれるので提供される時間は以前より早くなってきたようであるがそれ相応の覚悟がいる。
土用の丑の日になると鰻屋は何処も混むのでわざと翌日に鰻を食べに行ったことがある。
もちろん空いているのではないかと算段しての事である。
築地で待ち合わせ「宮川本店」へ行った処全くの当て外れで客が行列をしている。
結局鰻にありつけたのは並んでから2時間以上過ぎた閉店近くであった。
皆同じように考えての行動であったのかは定かでは無い。
ちなみに宮川を名乗る鰻店は多く「日本橋宮川」「根岸宮川」「小伝馬町宮川」等名前を上げれば切がない。「築地宮川本店」がその本家筋となる「世田谷宮川」「荻窪宮川」など直接に暖簾分けにて創業した店は「築地宮川本店」と共に宮川のれん会を結成している。
待ち時間の長さなど自慢にも何もならないが名古屋の熱田神宮の近くに元祖櫃(ひつ)まぶしを名乗る「蓬莱軒」がある。
何度か訪れている店であるが、ある時ゴールデンウィークのさなかに訪ねた事がある。
覚悟はしていたが案の定、店の前には大行列が出来ている。
おりしも櫃まぶしブームが起きていて東京でも櫃まぶしと言う鰻の食べ方が紹介されるようになっていた頃である。
1時間以上待ってやっと店の前の行列の先頭の方になって来た。
もう少しで櫃まぶしにありつけると思いつつ30分ほど待って店に入るとそこには大きな待合室があり中に順番待ちの人がうごめいている。
ショックは大きかったが今さらあきらめる分けにも行かずにじっと我慢の子となった。
空き切ったお腹に櫃まぶしがおいしかった事は言うまでもないが3時間近く待った疲れもどっとでて鰻を食べて活力を付ける目的が疲労困憊となった事を思い出す。
そうまでして鰻を食べたいか自問自答でもあるが鰻好きの辛い処である。
せかすのは野暮と言っていた昔の人はよほど気が長かったかと言うとそうでも無くもう少し風情のある鰻の食べ方をしていたようである。
柴又帝釈天近く江戸川沿いにある「川甚」等の川魚料亭には風呂が用意されていて客は浴衣に着替え、ひと風呂浴び庭を愛でながら座敷でくつろいで鰻の焼けるのを待っていたようである。
なんとも優雅な物であり鰻の味も一段とおいしく感じたであろうと想像がつく。
残念ながら「川甚」では今は風営法の関係からか風呂に入りながら鰻の焼きあがるのを待つ事は出来ない。「川甚」は夏目漱石、谷崎潤一郎、松本清張などの文学作品の舞台として実名で登場する事でも知られている。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-12-25 12:20 | 食のサロン
食のサロン その44 《江戸前天麩羅の話 ⑫天麩羅の魅力はつきない?》
東京における天麩羅の歴史や普及において特記される店がある。
昭和5年創業の銀座天一は多くの文人や著名人に愛された名店である。
戦後吉田茂の命で官邸に揚場を設け進駐軍司令部との交渉を円滑に進めるよう天麩羅外交が行われたがそれを受け持ったのが天一である。
バーナード・リーチやフランク・シナトラは来日するたびに天一を訪れたと言う。
またこの店はカレー塩と言ってカレー粉に塩を混ぜた物を天麩羅に付けて食す食べ方を考案したりもしている。
天麩羅を抹茶塩、山椒塩等で味あわせる店も多い。
抹茶塩等、塩で天麩羅を食させるのは鰹節だしの天つゆが使えない精進料理で良く用いられる食べ方である。
新宿の老舗船橋屋ではローズマリーやオレガノ等7種のハーブを使ったハーブソルトを提供している。
天麩羅が洋風になったような気がするのも乙な物である。
変わり揚げを楽しめる店も増えて来ている。
小柱を海苔で巻いて揚げる小柱の磯部揚げ、短冊に切ったイカにタラコを挟んで揚げたイカモミジ、シイタケにエビのすり身を詰めた物、干し柿のチーズ巻、ハスの穴に明太子を詰めて揚げた天麩羅、生ウニを海苔で覆って衣を付けウニに火を通さないように揚げた天麩羅もある。
真薯を湯葉で包んで揚げた物や長芋に梅肉を挟んで海苔で巻いた会席料理風の物までさまざまである。
最近西洋料理店ではオープンキッチンが多くなってきている。
シェフズテーブルなるシェフが客の見ている前で調理して、料理を提供する試みが評判を得ている店もある。客は料理の出来るまでシェフの調理方法を五感で感じながら出来立ての料理を楽しめる、新しいスタイルで評判を得ている。
天麩羅専門店はと言うと何のことは無い昔から、オープンキッチンで客はシェフズテーブルよろしく揚げるしぐさを見ながら音と臭いを感じて揚げたての天麩羅を楽しんでいたわけである。
このシェフならぬ天麩羅職人の技はノウハウがいっぱいで素人には分からない手間がかかっている。
したがって簡単に分かるものでは無く、とてもそれを詳しく説明する事は出来ない。
お座敷天麩羅で知られる天政の仕事ぶりを例にざっと見てみると、天政サイズと言われるさい巻エビの頭を取りしっぽの部分を形よく切って整える。
殻をむいて背ワタを取り揚げた時にエビが丸まらないように切れ目を入れ、塩水に10~15分漬け込み布巾にて水気を取る。
全卵3に卵黄1の割合で冷水に溶き、冷やしておいた薄力粉を振るいで振ってダマを除き、太箸にてさっと混ぜる。
少々上に粉が浮いているような状態にて箸を持ち上げると箸の先から流れるような粘度に溶いていく。
衣を付けて揚げる事になるのだが、味見をしながら調理する事は出来ない。
職人の経験と技術により瞬間に調理される、言わば一発勝負のやり直しのきかない料理である。
天つゆは醤油、みりん等を調合した元だれを3~4か月熟成させだし汁で割って使用される。
天麩羅は1に素材2に油3に職人の腕とよく言われる。
下ごしらえに手間暇をかけて細工は流々いざ揚場と言う舞台へ。
江戸から続く食のエンターテナー天麩羅の魅力はつきない。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-11-27 18:26 | 食のサロン
食のサロン その43 《江戸前天麩羅の話 ⑪天麩羅店は油も売りもの?》
戦国大名の齋藤道三は一介の油売りから身を越し美濃一国の領主となったと語り継がれている。
当時から油は重要な物資として流通していた事になる。
行燈に使用して燃やす事で明かりとして利用されてもいたし食用等色々な用途があったらしい。
天麩羅に使用される油には胡麻油の他には、かやの油、椿油、等が主であったが菜種油や現在ではコーン油等のサラダ油も合わせて使用される。
江戸前の天麩羅には胡麻油が欠かせないが焙煎をして風味を強くしたものや生のまま絞った太白油等が特徴を持って使用される。
搾る前に高温で時間を掛けて煎れば煎るほど油の色は濃くなり香ばしい香りも強くなる。
定温焙煎ゴマ油は低い温度で焙煎するので透明感のある琥珀色とナッツのような甘く香ばしい香りが特徴となる。
太白ゴマ油は生のままゴマを搾り精製した物で無色である。
癖が無く旨味のあるすっきりとした味わいで天麩羅の素材を生かすと言われている。
常に新しい油を使用する為にこまめに油を取り換える店もあれば少し天麩羅を揚げなじませた油に新しい油を混ぜて使用する店もある。
搾り方も臼挽き、玉締め搾り等と工夫されそれによって味わいも変わる。
玉締めは小さな圧力で時間を掛けて搾り自然に沈殿した物を和紙でろ過して作られる。
無理な圧力を掛けずに手間暇をかけ優しく絞るので油の風味を損なわないと言われている。
元々ゴマ油は酸化安定性に優れた油でゴマリグナンと言う抗酸化物質を含む。
ゴマリグナンの成分は一般にも知られるようになったセサミンやセサモリン、セサミノールでありビタミンE、カテキン、ポリフェノール同様に抗酸化作用があると言われている。
ゴマ油自体はリノール酸とオレイン酸が主成分であるがこちらも色々な効能が注目されている。
天麩羅は油料理ではあるが良い油で揚げられた物は少々食べ過ぎても胃もたれせず胸やけもしないゆえんである。
天麩羅店によっては塩で食べる事を薦める事があるがこれは油の質や素材の良さを楽しんでもらいたいと言う処であろう。
最近は天麩羅に付けて食べる塩も抹茶と混ぜて抹茶塩、カレー粉と混ぜてカレー塩、紫蘇の粉末や花山椒の粉末を混ぜて提供する店もある。
最近はコシアブラやフキノトウ等の山菜の天麩羅にオリーブ油が使われるケースもあり軽くあっさりと食される。
天麩羅はトンカツやメンチカツのようなフライとは違い動物性の油を使ってあげる事は無く食材自体も脂っこい物は使用しない。
魚貝類や野菜を多く使う天麩羅はフライ物と比べてヘルシーな揚げ物と言える。
また魚を食べるのが苦手でも骨を除いて食べやすく調理した天麩羅なら食べられると言う人も少なく無い。
魚の余分な水分が油分と置換され魚の生臭さも無くなってしまう。
天麩羅を蒸し料理とたとえる人もいるが油で揚げる事により外を衣でコーティングして中の具材を蒸すようにふっくらとジューシーに調理して行くからである。
いずれも油を熟知した職人ならではの技と言える。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-10-22 17:57 | 食のサロン
食のサロン その42 《江戸前天麩羅の話 ⑩天麩羅ダネの花形は?》
月も朧に白魚の篝もかすむ春の空。
ご存知歌舞伎三人吉三で知られるお譲吉三の名せりふである。
江戸から明治の初めの頃は篝火を炊いて白魚(シラウオ)漁をする風景は江戸の風物詩であったらしい。
細くて白い優美な女性の指は白魚のような指とたとえられる。
昔の人は上手い事を言う物であるが、それだけ当時の人にとってはなじみのある魚であったようだ。
白魚の天麩羅は江戸前天麩羅にとって欠かせない天種と言える。
芝エビは東京芝浦で多くとれた事から芝エビと呼ばれるようになったと言われている。
車エビの仲間に属するが車エビより小ぶりで何匹か連ねて衣を付けて揚げて天丼として提供する店もある。かき揚の具としても使われる江戸前天麩羅の代表的食材でもある。
昔は沢山とれたとされる白魚も芝エビも今は東京で漁獲する事は出来ない。
アナゴも江戸前天麩羅の代表選手であるがこちらは天麩羅種として現在でも東京湾で漁をされる貴重な魚でもある。
築地市場にも羽田沖産のアナゴとして入荷され江戸前の鮨店や天麩羅店で使用される。
関西の天麩羅店では骨切したハモを揚げた天麩羅があったりグジ(甘鯛)の切り身を天麩羅にしたりもする。
その土地により天麩羅種も変わって来るものである。
イカの天麩羅は産地や季節によりヤリイカを使ったりアオリイカになったりと味わいが変わるので面白い。
天麩羅にするエビは車海老が最上と言われていて店によって産地や大きさにこだわっている。
「天政」は天政サイズと言われるさい巻(小ぶりの車海老)を薄い衣を付けて揚げる。
伊勢エビの専門店等では伊勢エビの天麩羅を提供する店もあり、カニ料理の専門店ではズワイガニの足を天麩羅で提供したりもする。
エビフライ等エビ好きで知られる名古屋にはエビの天麩羅をオニギリの具にした「天むす」がある。
この「天むす」は三重県津市の「千寿」と言う店が発祥とされるが他にも元祖を名乗る店もあり中京地区の名物となっている。
余ったエビの天麩羅を切って暖かいオニギリの具にしてまかない食として食べたのが始まりとされる。
今は各店がアカシャエビと言う小ぶりのエビを天麩羅にして「天むす」を提供している。
冷めても美味しい事から弁当としてデパートや駅でも売られている。
富山では特産の白エビをかき揚にして提供される。
静岡では桜エビのかき揚げは定番となる。
ブラックタイガーやバナメイと言われる輸入エビも天麩羅ダネとして人気がある。
ランチ定食等にリーズナブルなエビの天麩羅として提供される事もある。
ちなみにエビを表す漢字としては海老を用いるのは伊勢エビ等歩くタイプのエビで車エビ等泳ぐタイプのエビは蝦の字を用いるのが正しいらしい。
いずれにしても天麩羅における花形はエビと言う事になるのだろうか。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-09-30 18:33 | 食のサロン
食のサロン その41 《江戸前天麩羅の話 ⑨名店の技術は受け継がれる?》
上野界隈の天麩羅店と言えば、本牧亭近くの「天鈴」や湯島が本店の「天庄」等が評判の店と言える。
食通の叔父が贔屓にしていた山下と言う天麩羅店があり、子供の頃何度か連れて行ってもらった思い出がある。
今もそのあたりを通ると立派な店構えが思い出されるが、今は無き天麩羅の名店である。
新橋にも橋善と言う天麩羅の繁盛店があった。
歴史のある老舗天麩羅店であり名物のかき揚で知られていた。
店を閉めた理由は知らないが繁盛をしていただけに惜しまれ、その味を懐かしむ人も少なく無い。
天麩羅店の味はその店の個性であり天麩羅職人の腕による処が大きい。
何らかの事情で店が閉店してしまえば、もうその天麩羅を味わう事は出来ない。
しかしその技と伝統を習得した職人がいればその味を引き継ぐ事が出来るかもしれない。
名店で修業をして暖簾分けや独立をした天麩羅店は、更に独自の工夫を加えて味を競っている。
浅草で創業した「稲ぎく」はその後日本橋茅場町に移り、お座敷天麩羅として高級天麩羅店の代名詞となった。
日が暮れる頃になると黒塗りの高級車が店の周りに連なり、庶民には敷居が高く近寄りがたい店であったが日本料理としての天麩羅の名を高めた一軒であった。
その後場所を移し規模を縮小して店舗を構えていたが、休業となっているようである。
「稲ぎく」で修業をした天麩羅職人は独立して多くの天麩羅店を構えている。
日本橋「だぼ鯊」の主人は「稲ぎく」時代に浅草の寮に住んでいた頃の話を懐かしく話してくれた物である。「稲ぎく」が廃業とならなければ自分で店を持つことは無かっただろうと謙遜していたが、確かな腕で天麩羅好きを喜ばせている。
入谷にある小野照先神社前「からくさ」の主人は、「だぼ鯊」の高橋氏の弟弟子にあたる。
たまたま前を通った「稲ぎく」の当時の繁盛ぶりを見て門をたたき天麩羅職人を目指したと言うから面白い。
下町にある気の置けない隠れた名店である。
天政は千代田区猿楽町に店を構える有名店であったが、現在は丸ビルに移ってお座敷天麩羅の伝統を守っている。
天政出身では逢坂、すず航等が評判の店である。
銀座天一で修業し独立して店を構えた職人は多い。
銀座天亭、いわ井、天朝等々店名を上げれば切がないほどである。
それぞれが独立後も創意工夫を行い、名店で修業した技術を持って評判を得ている。
だいぶ前の話になるが昼に急に天麩羅が食べたくなり電話を入れると、上手く席が空いていてそれではと急ぎ茅場町の「みかわ」を訪ねた。
店の前には開店前から客が並んでいたが、開店時間が過ぎてもなかなか店が開かない。
どうしたのかと思い待っていると、路地の向こうにタクシーが止まり主人が下りて来た。
どうやら昨晩の夜遊びが過ぎたのか遅刻をしたようで照れながら並んでいる客に挨拶をしての登場である。客の方は待たされはしたが、主人である早乙女哲哉の憎めない人柄とその後に提供された天麩羅のうまさに満足をしてしまう。
味で売る店は天麩羅その物ならずとも味がある物である。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-08-20 18:12 | 食のサロン
食のサロン その40 《江戸前天麩羅の話 ⑧かき揚は天麩羅の真打?》
天麩羅と言えばエビやアナゴ、キス、メゴチ等、人それぞれ好きな食材があると思われる。
なんと言ってもかき揚が好物と言う天麩羅好きも多い。
殆どの天麩羅店がコースを頼むとまずエビを揚げて最初に客に提供する。
旬の魚や季節の野菜をひと通り揚げ終わると最後はかき揚が登場しコースを締めくくる。
かき揚と赤だし味噌汁にご飯とお新香でコース終了となる。
店によってはかき揚を天丼や天茶づけとして提供する事もある。
いずれにしてもかき揚を天麩羅コースのおおとりと位置付けている事となる。
かき揚は店ごとに違った味わいが最も表現される天麩羅ではないだろうか。
小エビと小柱(コバシラ)だけでかき揚を作る店もあればそれに三つ葉を加える店もある。
季節によってはそれにシラウオ等を加える事もある。
イカを使ってリーズナブルな価格で提供する店もある。
輪切りにしたネギや春菊等を使って彩や風味を加え、玉ネギを使えば甘みが増してそれはそれで美味しい。産地の静岡ではサクラエビのかき揚も定番である。
かき揚そのものを名物とする店も少なく無い。
浅草の「中清(なかせい)」は幕末の頃の屋台から始まり明治3年に店舗を構えた老舗である。
東都のれん会唯一の天麩羅店としても知られ江戸前を貫いているので野菜類の天麩羅は出さない。
浅草の雷門の雷神様が持つ太鼓に似ている事から雷神揚げと命名された大きなかき揚が看板商品である。同じ浅草の「葵丸進(あおいまるしん)」は天麩羅の大型店であり、こちらは大判のかき揚を金竜山浅草寺にちなみ金竜揚げとしている。
赤坂にある「天茂(てんしげ)」は昼に訪れる客の殆どがこの店のかき揚丼を目当てにしている。
いつも賑わう店内で天麩羅を揚げている高畑粧由里は天麩羅店では珍しい女性の揚げ手である。
倒れた父の後をついで2代目天麩羅職人となったが、前職は教師だったと言う変わり種である。
かき揚に欠かせない小柱(コバシラ)は青柳の貝柱の事である。
青柳はバカガイと呼ばれるが呼名の由来には、昔は東京湾でバカのようにとれたから等諸説がある。
現在江戸前の小柱と呼ばれるのは千葉県富津あたりで漁獲されている。
北海道あたりで漁獲された物は大振りの貝柱でかき揚にして食べごたえのある物もある。
北方系と南方系で大きさの違いがあるようであるがいずれにしても歯ごたえのある食感が好まれる。
最近は天ばらと言って、塩味のかき揚を茶碗に乗せて白飯に混ぜる様にして食べるのも流行っている。
天麩羅コースの最後の食事として、この天ばらを出す店も増えている。
天ばらとは元祖を名乗る「天ぷら店魚新(てんぷらうおしん)」によると揚げたてのかき揚を炊きたてのご飯をよそった丼や茶碗に乗っける。
塩を適量振ってバラバラにしてご飯と混ぜながら食べるので天ばらと称したと言う。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-08-05 15:13 | 食のサロン
食のサロン その39 《江戸前天麩羅の話 ⑦揚げ加減は職人の腕?》
天麩羅を揚げる時に使用する小麦粉は通常薄力粉を使用し冷水にてかき混ぜすぎないように溶いていく。
かき混ぜてグルテンが強くなると揚げた時に衣に含まれる水分をはなし難くなりサクッとした食感にはならない。
氷を使って溶く水を冷やしたり小麦粉自体を冷やしたりするのもグルテンを抑える為である。
揚げる時には衣の水分と油分を素早く置き換える事が必要になる。
同時に高い温度で短時間に調理する事により具材となる天麩羅種も風味や栄養価も損なわず美味しく食べる事が出来る。
水分を飛ばして揚げた衣は置いておくと空気中の水分を吸って湿気をおびてくる。
それによりサクサク感が失われシナッとなって来てしまう。
すなわち天麩羅を美味しく食べる原理は揚げる寸前に素早く衣を作り材料にまとわせ高温のたっぷりの油でサッと揚げる。
食べる方も揚げたてを提供されたら時間を置かずに食べる事が最良と言える。
小麦粉を配合する場合もあり、その場合はもじどおりその店の天麩羅粉となる。
粉の種類を季節によって使い分ける店もある。
溶き水に鶏卵を加える場合もありこちらも卵のタンパクや油分を利用して美味しく揚げる工夫をした。
昔は卵黄を混ぜて揚げ上がりの色から金麩羅、卵白を混ぜて銀麩羅等ともじった言い方をしていた店もあった。
天麩羅を揚げる温度は180度位で目安としては溶いた衣を揚げ油に落し沈んでもなべ底に付かない内に上がって花開くような温度が良いとされる。
職人が水で溶いた天麩羅粉を油に落して確認するのは頃合いの温度を確かめる為である。
揚げる材料によっても火の入り加減を調整し一度に鍋に投入する量も油の温度が下がらないように考えて行う。
余熱も考慮し少し生の部分を残して鍋から上げ余熱を使って良い頃合いにするのも職人技である。
経験を積めば天麩羅の揚がり具合を音で聞き分ける事も出来る。
油に投入したての音と火が通り始めた音、頃合いにより微妙に変化してくる。
それらを聞き分けて自身がここぞと言うタイミングで天麩羅鍋から引き上げる。
このタイミングは食材によっても店や職人によっても違う処が又面白い。
要するに天麩羅職人は五感を使って自分の考える最も良いと思われる揚げ方を工夫している事になる。
天茂では薙鮎を揚げる時は柔らかい腹の部分に衣を多く付け頭と尾の部分には衣を付けずに頭と尾を持って油に浮かすように投入する。
内臓を含んだ腹の部分の衣が薄いとパンクしてはじけ飛んでしまい風味を持った薙鮎の醍醐味が台無しになってしまう。
この揚げ方であれば頭と尾の部分はカラッと揚がり胴体の部分はふっくらとジューシーに仕上がる。
粉の溶き方や温度、材料への付け方等により衣の食感はもとより素材の特徴を左右する事となる天麩羅は揚げ手の職人の腕の見せ処と言えよう。
客もまたその揚げ加減を味わい自分の好みの店を見つけるのが天麩羅を食す楽しみとなる。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-07-10 15:58 | 食のサロン



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