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食のサロン その38 《江戸前天麩羅の話 ⑥天麩羅はお好みで》
天麩羅店では殆どが価格によりいくつかのコースを作って客に提供している。
店に任せる形なので世話無しではある。
店の方で予算に合わせて定番のエビやアナゴに加え季節の魚介や野菜類などを取り混ぜて揚げてくれる。締めはかき揚を天丼にしたり天茶漬けにしたりもしてくれる店もある。
しかしせっかく目の前で揚げてもらうのなら、たまには自分の好のみで食材を揚げてもらうのも良いだろう。
混雑している時は嫌がられるかもしれないが、お好みの注文で客に対応する力量のある店もある。
そう言う店は自分の工夫した揚げ方で提供してくれたり、めずらしい天麩羅種が手に入るとそれを勧めてくれたりする。
私のお好み天麩羅初体験は30年以上も前になるが、新宿の有名店「つな八」であった。
ハマグリの天麩羅は、用意した2個のハマグリを使い一度ハマグリの身を貝殻から外す。
開いてあった貝の両方にハマグリの身を入れて、貝殻ごと衣を付け天麩羅にした物であった。
ハマグリを貝殻ごとあげる事に驚いたがそこに仕事がされている事に感心もした。
他にも珍しい天麩羅を食べて、最後はアイスクリームの天麩羅を頂いた。
江戸前天麩羅として少し邪道かもしれないが、お好み天麩羅ならではの楽しみを味わえた気がした。
揚げ手にとっても、客と対話をしながら天麩羅を揚げる事が出来るので利点もあると思われる。
たとえばプチトマトの天麩羅を揚げて黙って客に出したら、こんな天麩羅はいらないと思う客がいるかもしれない。
お好みなら今日は何処産の良いトマトが入荷していますがお試しになりますか。
こんなやり取りから客が興味を示してくれるかもしれない。
日本橋の天麩羅店「弁慶」はこのトマトの天麩羅を推奨している。
オリジナルや自店で工夫した天麩羅を提供する店は多い。
「柳橋大黒家」では食パンを揚げてウニをソースのようにまとわせるウニパンを提供する。
コースの中の一品であるが店の名物ともなっている。
築地にある「天竹」は天麩羅とふぐ料理を二枚看板としている。
当然のようにふぐの天麩羅が名物となっていて、毎月29日を肉の日ならぬフグの日としてフグ天丼をサービス価格で提供している。
天保8年(1837)創業現在東京で一番歴史の古い天麩羅店とされている浅草の「三定」は、饅頭の天麩羅をデザート感覚で提供している。
色々な店でめずらしい物にお目にかかる機会があり、生ウニを海苔で巻いた天麩羅やフグの白子の天麩羅もことのほか美味である。
いずれにしても店の職人と会話を楽しみながら食べるお好み天麩羅は、天麩羅の醍醐味かも知れない。
その際は好き嫌いや是非は別として、薦められたオリジナル天麩羅を味わってみるのも一興と思われる。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-05-23 14:35 | 食のサロン
食のサロン その37 《江戸前天麩羅の話 ⑤野菜天麩羅は季節の味?》
野菜を揚げた物は天麩羅とは言わない。
私の子供の頃江戸っ子はこう言っていた。
魚介類に衣を付けて揚げた物を天麩羅、ナスやニンジン、ゴボウやハスに衣を付けて揚げた物は精進揚と言うんだと教えられた。
確かにそのころ江戸前を売り物にしていた天麩羅店では天麩羅にした野菜の類を食べた記憶が無い。
あっても彩に副える、しし唐位の物だったように思う。
かといって江戸っ子が野菜の天麩羅を食べなかった分けでは無い。
下町には精進揚げの専門店があり揚げた野菜の天麩羅を店頭で販売していた。
家庭でも良く精進揚げを揚げて夕飯のおかずとした物である。
家族が何人かいると私はサツマイモの天麩羅、僕はインゲン、私は椎茸等と好みも別れて食事を楽しんでいた。
要するに魚介類を使った天麩羅と野菜を使った天麩羅は別物として区別していたと言う事らしい。
現在天麩羅店でかたくなにこの伝統を守っている店は少ない。
むしろ野菜の天麩羅を売り物にして繁盛している天麩羅店は多い。
季節ごとの野菜や山菜、キノコ等の天麩羅を食べる事は天麩羅好きの楽しみでもある。
日本料理は季節を大切にするが天麩羅で季節を味わうのもおつな物である。
暖かい地方で採れたフキノトウ、コゴミ、タラの芽等の天麩羅を食べれば一足早く春の訪れを感じる事が出来る。
筍の天麩羅、菜の花やそら豆の天麩羅は春を満喫できる。
夏野菜ならグリーンアスパラからミョウガ、オクラやインゲン、ヤングコーン、最近ではプチトマトを天麩羅にする店もある。
色とりどりのパプリカやしし唐、万願寺唐辛子等も美味しい。
秋を迎えれば嫁に食わすなと言われた秋ナスやほっこりとしたサツマイモの天麩羅も登場する。
高級な処では松茸や各種キノコ類の天麩羅も秋に欠かせない味覚である。
ギンナンやムカゴ、変った処ではアケビやヒシの実、栗や柿を天麩羅にしても美味しい。
冬ともなればクワイやユリ根、セリの天麩羅も食べたい。
堀川ゴボウや万願寺唐辛子、京人参等の京野菜も天麩羅種となる。
そう考えると天麩羅好きは季節ごとの天麩羅を食べなければ一年を過ごす事が出来ないような気持ちとなる。
要するに山菜や野草の類から各種野菜やキノコ等どれも天麩羅種に成らない物は無いと言う事に成る。
「何これ珍百景」なるテレビ番組の中で俳優の岡本信人が一般に知られていない野草やキノコ等は食べられるか検証するコーナーがあった。
必ず天麩羅にしてその植物が食べられることを実証して見せる。
もちろん体に害を及ぼすような物は天麩羅として揚げても無害になるわけでは無いと付け加えて置きたい。
季節が無いと言われる都会では天麩羅店で季節を楽しむのもおつな物と言える。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-05-10 18:51 | 食のサロン
食のサロン その36 《江戸前天麩羅の話 ④天丼は江戸っ子好み?》
江戸っ子は丼物が好きと言うのは通り相場になっている。
私の場合はどちらかと言うと鰻丼を食べるなら蒲焼とご飯の方が好きである。
牛丼も食べるが白米がふやける位つゆが掛かっていたりするとガッカリする。
しかし天丼の場合は別である。
天麩羅定食と天丼のどちらも捨てがたい。
なぜならば良い天麩羅店は天麩羅定食と天丼の揚げ具合も変えているし天つゆも天丼用と分けるような工夫をしているからである。
東京下町には天丼を売り物にしている店もあれば天丼専門店もある。
浅草伝法院通りに店を構える大黒家は創業明治20年(1887)の老舗天麩羅店である。
人気店でいつも混んでいるが店内の客の9割以上が天丼を食べている。
胡麻油だけで揚げた大きなエビが売り物となっている。
吉原大門の見返り柳のそばに天麩羅伊勢屋がある。
創業が日本堤の土手があった時代だったので土手の伊勢屋と言われ110年の歴史がある。
活穴子を使用し丼からはみ出した穴子が乗った天丼が名物となっている。
出前もしていたころはエビの尾が丼の蓋からはみ出ている事が評判であった。
日本橋三越近くの金子半四郎は元々湯島の仕出し店が開いた天丼専門店である。
コストパホーマンスが高いとの評判もあっていつも行列が絶えない。
開店からの年数は浅いが味とボリュームで人気店となっている。
人形町の天音は色の濃い天麩羅衣をまとった天種にこちらも江戸っ子好みの濃い天つゆで胡麻油で揚げたカラッとした天麩羅は天丼との相性が良いように思う。
兜町に近い場所柄もあって株式関係者がカラッと揚がった天丼を食べ株価も上がるようにと縁起を担いだようである。
浅草のまさるは天丼の美味い店と自ら歌っている。
新仲見世横の路地に店を構え天丼一本で商売をしていて大きな車海老が自慢の店である。
銀座天国は天麩羅専門店として8丁目に立派なビルを構えている有名店である。
2階3階は宴席を中心に天麩羅と割烹、日本料理を提供する。
1階は庶民的なテーブル席で天丼を気軽に食べる事が出来昼夜賑わっている。
明治18年銀座に屋台店として創業した歴史を持つ老舗であるが天丼めあてに訪れる客も多い。
天丼と言う料理を説明する場合は単に天麩羅をご飯の上に乗せたと言う事では表す事はとても出来ない。
天丼は天麩羅と丼タレ、ご飯が一体となった料理であり伝統の技で作られる江戸っ子好みの料理に他ならない。
東京には天丼の発祥と言われる店がいくつかあるようであるが確かな事は分からない。
創業天保8年(1837年)現存する日本最古の天麩羅屋とされる浅草の三定を天丼発祥店とする説もある。
長野県諏訪地方には信州味噌天丼と言う天丼を出す店が多くある。
特産の味噌を使った味噌ダレを天麩羅に掛けて食べる天丼である。
懐かしくて新しい味として全国へ発信しようとした試みと聞く。
昭和の頃、子供たちは天丼を食べると自分も大人の仲間入りをしたような気になった物である。
天丼は庶民の味に違いはないが、ちょっぴり背伸びをしたささやかな贅沢を味わえる丼とも言えよう。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-04-22 17:06 | 食のサロン
食のサロン その35 《江戸前天麩羅の話 ③天麩羅はインターナショナル?》
日本料理の中で欧米人にいち早く好まれたのは天麩羅ではないだろうか。
外国人にとって富士山、芸者ガール、天麩羅、すき焼きが日本の名物とされた時代もあった。
喜劇王チャップリンは来日時に銀座「天一」や茅場町「稲ぎく」、浜町「花長」等の天麩羅店を訪れている。
定かではないがエビの天麩羅を20本も食べたと言う信じがたい話も伝わっている。
もともとチャップリンは日本贔屓であり日本に来て天麩羅を食べる事を楽しみにしていたらしい。
信頼していた執事が日本人でありその勤勉で実直な人柄を敬愛していた。
その為日本にも好感を持っていたようである。
きっと天麩羅やすき焼きの話も聞いていたと想像される。
余談ではあるがチヤップリンが映画の中で愛用していたステッキは日本製の竹で出来た物だったそうである。外国人にも好まれた事からかホテル内のレストランとしても天麩羅が採用されるようになった。
銀座天一は帝国ホテルに出店し外国人に喜ばれただけではなく常連の日本人宿泊客にも歓迎された。
ホテル直営の日本料理店でも天麩羅を看板とした店がある。
池波正太郎を始め多くの文人作家に愛されたヒルトップホテル(山の上ホテル)の天麩羅山の上である。
料理長であった近藤文夫が独学で天麩羅を学び天麩羅の名店と言われるようになった。
現在は独立して銀座に近藤と言う天麩羅店を開業している。
大きく筒状に切ったサツマイモをじっくりと揚げて行くサツマイモの天麩羅等を名物としている。
細長く切ったニンジンを少なめの天ぷら衣で揚げながらまとめて行くこの店独特のニンジンの天麩羅はニンジンの花火と呼ばれている。
暖簾や箸袋に書かれた近藤の店名は池波正太郎の筆によるとの事である。
京橋の人気天麩羅店「深まち」の店主深町正男もこの山の上ホテル出身である。
ホテルオークラの日本料理「山里」の天麩羅も評判が高い。
季節の野菜や吟味された魚介類の天麩羅には食通のファンも多くここで修業をして独立した天麩羅店も多い。
特徴は生きた鮎を使い揚げ油の中で泳がすように揚げて行く。
それにより鮎があたかも泳いでいる時のようにヒレを伸ばして揚げあがる。
この揚げたての薙鮎の天麩羅を腹の方を下にして提供する。
天麩羅通の客なら店で提供される鮎の天麩羅を見れば山里出身の天麩羅職人と察しが付く。
山里で仕事を覚えて独立した店には西麻布の天麩羅「からさわ」、水天宮前の「つじ村」、銀座の「てんぷら真」等がある。
過日銀座のハゲ天で天麩羅を食べていると中居さんが明日のサウジアラビヤの一行の予約がキャンセルになったと天麩羅の揚げ方に報告に来ていた。
何気なく聞いていると、どうやら飛行機の都合で日本への到着が遅れる何がしで来店出来ないと言う事らしい。
遠い中東からの訪日の折にも日本の食文化として天麩羅を楽しもうと言う事だろうかと勝手に想像をした。
店内を見渡すと青い目の外人客が運ばれた天麩羅と共にニッコリとして写真を撮っていた。

                                                       文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-03-22 16:22 | 食のサロン
食のサロン その34 《江戸前天麩羅の話 ②天麩羅のルーツは?》
天麩羅の語源は油や調理の意味があるポルトガル語のテンペロに由来すると言う説がある。
別の説ではキリスト教の宗教用語クアトロ・テンプラシを語源としている。
四節句にキリストの受難をしのんで節食として肉を食べずに肉の代りに魚のフライ等を食べていた。
この習慣が日本に伝わりクワトロ・テンプラシから魚の揚げ物の事をテンプラと呼ぶようになったと言う。
その他にも諸説がありどれを定説とするかは難しい処である。
この衣を付けて魚等を揚げる料理に江戸時代の劇作家「山東京伝」が天麩羅と漢字をあてはめたと言う話が伝わっている。
天麩羅は日本独自の揚げ物料理と思われがちだがキリスト教の宣教師と共に渡来した南蛮料理がルーツと思われる。
始まりはフランシスコ・ザビエルの来日した安土桃山時代。
面白いのは鉄砲伝来と同じくして日本に伝わってきたと言う事である。
地方によってはさつま揚げのように魚のすり身を揚げた揚げカマボコを天麩羅と呼ぶ所もある。
現在のような小麦粉を水で溶いて衣として油で揚げる天麩羅は江戸が発祥と言われている。
おそらく長崎あたりで外国人が作るフリッターのような物を見て日本人が工夫したのではないかと思われる。当初は大名や階級の高い武士から大店の商家のあるじの食す高級な物であったと考えられる。
徳川家康が天麩羅好きで鯛の天麩羅を食べすぎたのが死因と伝わる説もある。
しかし、この話は現在の天麩羅にあたる食べ物だったのか等不確かな事が多い。
記録では元和2年(1614)正月3日に家康が油で揚げた鯛を食べたとあるが天麩羅と言う言葉は無い。
思慮深い家康が食べ過ぎて体調を崩すほど天麩羅はそれほど美味い物だったと言う事であろうか。
天麩羅として庶民の間に広がったのは屋台の天麩羅屋の存在がある。
安政年間(1772~81)に天麩羅屋台店が商売を始めたと言われている。
蕎麦や鮨と同じように江戸庶民に親しまれたのは屋台の天麩羅屋からと言う事に成るらしい。
屋台では魚に衣を付けて揚げた物を長い串に刺して提供し客は串を持って口に運んだ。
そのうち店を構える天麩羅店が登場し今のように箸を使い天つゆに付けて食す形になって来たとされる。
豊富な魚介類が手に入り油や醤油、味醂が各地から運び込まれる江戸の町で天麩羅の食文化が花開いた事は容易に想像がつく。
日本橋の老舗天麩羅店「天茂」は明治18年に初代の奥田茂三郎が屋台の天麩羅屋を創業しその後明治40年に店舗を構えたと言う。
江戸前の丁寧な仕事と鮑の天麩羅や栗の渋皮揚げ等めずらしい天麩羅も提供する名店である。
屋台がルーツであるこの店はさながら江戸前天麩羅の発展と重なる歴史を持っていると言える。
その他にも「銀座天國」等東京の老舗天麩羅店では創業が屋台の天麩羅屋と言う歴史を持ち今に続く店も少なく無い。

                                                         文責:青木知博
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by kosakai_blog | 2013-02-28 16:11 | 食のサロン
食のサロン その33 《江戸前天麩羅の話 ①天麩羅の味は江戸前の海?》
天麩羅種と言えば車海老や穴子、かき揚にする芝海老や小柱が頭に浮かぶのではないだろうか。
江戸前天麩羅の種に銀宝(ギンポウ)と言う魚がある。
「銀宝を食べずして江戸前天麩羅を語るなかれ」と言う人もいる。
江戸前天麩羅の3大天麩羅種の一つと言われる事もある。
私はこの魚を天麩羅以外の料理で食べた事は無いが、天麩羅としては確かに美味しい。
季節種として5月半ばから7月位が旬とされ、この季節を待ちわびている天麩羅好きな江戸っ子も多い。
天麩羅種としては珍重されるが決して高級魚と言うわけでは無い。
何処でも取れるが需要があまりなく市場に出る事が少ないと言うのが真相らしい。
それどころか煮ても焼いても美味くなく天麩羅で食べる東京以外では見向きもされないと言う話もある。
天麩羅職人の話によると、鮮度が問題なので殆どが生きたまま活魚として購入されるが、小骨も多く割くのが面倒で下ごしらえが大変らしい。
天麩羅店の方でも通の客には喜ばれるが、一般的に知られていない部分もあり扱う店が少なくなってきているようである。
鮨種の小肌も煮たり焼いたりしても美味しくないが、酢で〆る事により江戸前鮨の代表的食材となる。
銀宝も鮨における小肌の様に江戸前の天麩羅職人が工夫して、天麩羅種として仕上げた一品なのかもしれない。
江戸前の3大天麩羅と言う話が出たが、あとの2品は鱚(キス)とメゴチと言う説が一般的に言われている。
どちらも天麩羅にして実に美味しい魚である。
メゴチは頭を落して松葉に下ろし尻尾を残して天麩羅にする。
キスやメゴチは江戸前の海で釣り魚として豊富に取れた物と思われる。
昔は沢山釣れた魚の代表として櫨(ハゼ)があり、ハゼの天麩羅も江戸前の代表的な天種である。
沢山取れるので何処からか湧いてくると言われていたらしい。
佃煮や甘露煮も良いが衣を付けた天麩羅は特に江戸っ子に好まれた。
これらの魚の天麩羅は庶民のご馳走であったに違いない。
父親が釣ってきた魚を家庭で天麩羅にして食べる事も少なくなってしまった。
天麩羅船と言われ釣り船を仕立てて釣った魚を船の上で天麩羅にしてもらい釣果を味わうと言う趣向がある。
釣りの中でも費用の掛かる贅沢な釣りである。
芸者衆を引き連れて屋形船で天麩羅を始め料理を楽しむいわゆる船遊びは、江戸のお大臣遊びの代表であった。
船遊びとなると庶民には程遠い話になるが、せめてたまには贅沢をして屋形船の上で揚げたての天麩羅を食べたい物である。
キスやメゴチ、アナゴやハゼの天麩羅を食せば、江戸の昔が偲ばれると言う物であろうか。
夕涼みに大川に屋形船を浮かべて天麩羅で舌鼓を打つ。
完成したスカイツリーのライトアップを眺めながらとくれば格別ではないだろうか。
もちろん懐具合が許されるならばの話なので、残念ながら私自身想像の話となる事をお詫びしなければならない。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2013-01-24 15:27 | 食のサロン
食のサロン その32 《江戸前蕎麦の話 ⑫》 最終回
変わり蕎麦とは簡単に言えば蕎麦切りの中につなぎの目的ではなく香りや味、見た目の色を楽しむ為の物を練りこんだ蕎麦である。
創業天明2年(1782)創業、小堀屋本店には黒切り蕎麦と言い昆布を加工して練り込んだオリジナルの真っ黒な蕎麦がある。
店舗は水郷佐原の小野川沿いにあり県の有形文化財に指定されている。
大阪曽根崎お初天神近くの瓢亭では、夕霧蕎麦と言う柚子を練り込んだ蕎麦がある。
生卵を入れた蕎麦つゆで柚子の風味を味わう名物蕎麦である。
名前の由来は、近松門左衛門の人形浄瑠璃曽根崎心中の夕霧太夫からと聞く。
鹿児島県知覧武家屋敷の近くにある吹上庵は、地元産の良質な知覧茶を使用した茶蕎麦が評判で抹茶の色と風味が楽しめる。
慶応2年創業静岡の安田屋本店にも茶所静岡の抹茶を練り込んだ茶っきり蕎麦がある。
安田屋は毎週新しい変わり蕎麦を提供する企画を行い50種以上の変わり蕎麦を捜索したと聞く。
浅草の蕎麦上人と言う店では5色蕎麦と言って五つに区切られた盆に盛られた変わり蕎麦を含めた5種類の蕎麦が食べられる。
この店は蕎麦教室も開いており、そこで学んだ生徒が開業した蕎麦店は多い。
更科系の蕎麦は店では季節の変わり蕎麦を提供する店が多い。
桜エビ、春菊、ふきのとう、桜、木の芽、葉わさび、よもぎ、笹、しそ、菊、くちなし、青柚子。
最近ではトマトやカボチャ等の蕎麦切りもあるようだ。
近頃は「そばそうめん」と言って見た目は素麺でそば粉を使用した乾麺があり、素麺の食感に蕎麦の味わいがあり中元ギフト等に人気がある。
これも蕎麦の進化形であろうか面白い試みである。
蕎麦屋で粋に酒を飲むのも江戸っ子の楽しみであった。
板ワサは蒲鉾にワサビ漬をそえて食べる蕎麦店のつまみの代表である。
蕎麦のだしを使っただし巻卵や海苔をあぶりながらつまみにする店もある。
蕎麦寿司を提供する店もありそんな店ではそれが酒の肴になる。
蕎麦を食べる前に飲む酒は蕎麦前とも呼ばれるがこれを台抜きで楽しむのも通とされる。
台抜きとは蕎麦抜きの事で、天蕎麦台抜きと言えば天麩羅蕎麦の蕎麦が無い物が提供され、鴨南台抜きは鴨南蛮の蕎麦抜きである。
そば団子やそば汁粉等の甘味を出す店もあり案外フアンも多い。
夏の納涼床で知られる鴨川沿い先斗町歌舞練場並び有喜屋は京都の蕎麦の名店である。
3代目三嶋吉晴は平成23年に麺技能士として初めて現代の名工に選ばれた。
20歳の時から正当な江戸の蕎麦打ち技術を学ぶべく上野藪蕎麦にて修業し、日本麺業団体連合会会長も務める店主鵜飼良平の弟子にあたる。
東京に花開いた蕎麦文化は江戸、明治の昔から蕎麦にうるさい江戸っ子とそれに応えるべく創意工夫を重ねた蕎麦職人によって育まれた。
伝統を重んじながら新しい試みも行われている。
収穫されたそば粉をマイナス60度の超低温冷凍庫で保管すると、一年中新蕎麦の味と香りが楽しめる。
何処にそんな冷凍庫があるのか、実は冷凍マグロを保管する冷凍庫が利用される。
観賞用か高嶺ルビーなる赤い花を咲かす蕎麦も導入され、ハイルチンなるルチンを多く含む蕎麦も収穫されるようになった。
春そば夏そば秋そばと言うように、収穫期の異なる蕎麦も楽しむことも出来る。
今後蕎麦の未来は如何な物となるのだろう。

                                                         文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2012-12-14 16:31 | 食のサロン
食のサロン その31 《江戸前蕎麦の話 ⑪》
「蕎麦うまし千里いとわず来し我に」と言う句がある。
この句が名句なのかどうかは分からないが蕎麦好きならば共感出来る物がある。
どこそこの蕎麦を目当てに遥々出かけて行く。
たどりついてありついたその蕎麦が噂どおりであれば幸せな気持ちになる。
千里とは言わないまでもそんな経験がある人も多いのではないだろうか。
この句は料亭「なだ万」を実家に持つ俳人楠本憲吉の句である。
以前聞いた話であるが山形の蕎麦組合の連中が東京旅行に出かけた。
浅草見物をしたついでに並木藪で蕎麦を食べ自分たちの蕎麦への取り組みを考えさせられ山形の蕎麦の向上を図ったと言うのである。
現在山形の蕎麦は総じてレベルが高く東京等からわざわざ蕎麦を食べに出かける人も少なくない。
全国に蕎麦を食べに出かけてみる価値のある蕎麦処がある。
また風情を持った歴史のある店も多くある。
北海道釧路の竹老園東屋総本店を訪ねた時は東京から遠く離れた北の地に味、風格共に立派な蕎麦屋がある事に驚かされた物である。
盛岡の直利庵では秋の鮎蕎麦、冬の鱈子天蕎麦も捨てがたいがやはり盛岡名物の椀子蕎麦に挑戦したい。
山形萬盛庵では紅花蕎麦、ナメコ蕎麦、むき蕎麦も味わいたい。
各地の蕎麦店を訪ねると地方の特産品を使った名物蕎麦や独自の特徴ある蕎麦で売っている店も多い。
東京でオリジナルの蕎麦を提供する店と言うと銀座よし田のコロッケ蕎麦がある。
銀座よし田は明治18年創業、浜町よし田の伝統を引き継ぐ名店である。
コロッケ蕎麦のコロッケはパン粉や衣をまとわずミンチにした鶏肉と山芋、卵を使用したつくねに近い物である。
このコロッケ蕎麦を目当てによし田を訪れる常連は少なくない。
ある時たまたま銀座よし田の支店を見つけて入ったことがある。
メニューも見ずにコロッケ蕎麦を頼んだところ店員の女性が無いと言う。
残念売り切れかと思うとメニュー自体に無いと言われた。
話を聞くと当初は置いていたのだが殆ど注文が無くメニューから外す事になったと言う。
本店の名物も処変わればと驚いた物であるが経営が違うのか等定かな処は分からない。
蕎麦好きの人の中には太打ちの食べごたえのある蕎麦やこしの強い物を好む人もいる。
台東区竜泉の角萬では来店客の八割方が「ひやだい」と注文をする。
メニューにはそんな品書きは無いが冷やし肉南蛮の大盛りが丼で運ばれてくる。
太打ちの味わいのある蕎麦とボリュームで常に客で込みあう人気店である。
太打ちの蕎麦では江戸川区の矢打もいつも行列の出来る店として地元の支持を受けている。
鶯谷駅並びの公望荘は錆刀御手打ち御免を看板に、こしのある蕎麦を売り物にしている。
信濃路は(信濃では)月と仏とおらが蕎麦、そんな句があり一茶の句と言われて旅情を誘う。
後の誰かが一茶の句として信州名物をあてはめたと言う説もある。
確かに信濃路の風景や名物をうまく言い当てているが風刺のきいた一茶の句とは言い難いようにも思える。ともあれ、おらが蕎麦を探して食べ歩き自分好みの蕎麦店を見つける。
それも風流と思うのは食いしん坊ゆえであろうか。

                                                       文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2012-11-20 17:31 | 食のサロン
食のサロン その30 《江戸前蕎麦の話 ⑩》
いくら良い蕎麦を打ってもそばつゆが悪ければ美味しく蕎麦を食べる事が出来ない。
まさに麺としての蕎麦とつゆがあって蕎麦の味は形成される。
生かすも殺すもつゆ次第となる。
蕎麦つゆに用いられる「かえし」は醤油、味醂、に砂糖等を加え寝かした物である。
寝かせる事で醤油のかどが取れ熟成されたまろやかな味となる。
一般に過熱をして保存した物を「本かえし」、醤油を加熱しないでなじませた物を「生かえし」、加熱した後に未加熱の醤油を更に加えた物を「半生かえし」等と呼んでいるようである。
この「かえし」に東京では主に鰹節から取った「だし」を加えて蕎麦つゆとしている。
精進料理の名店でも美味い蕎麦を出す店がある。
しかしもう一つ蕎麦の味にうなずけない事があり考えてみるとやはり「だし」の味と思い当たる。
精進料理では鰹節が使えないのでどうしても昆布主体に椎茸等のだしになる。
本枯節を使った江戸前のだしに慣れ親しんだ舌には何か足りない気になる物である。
地方によっては鰹節だけでなく鯖節や他の魚でだしを取るところもある。
新潟県佐渡小木町にある七右衛門は佐渡産のそば粉で打たれた蕎麦をぶっかけ蕎麦として提供する明治
末期創業の名店である。
田舎風の蕎麦にアゴダシ(トビウオのだし)のつゆで評判を得ている。
兵庫県出石は市内に40件以上の出石蕎麦店がある。
城主が信州上田から国替時に蕎麦職人が移り住んだ事が発祥で伝来300年とされる。
そばの実を丸引きにした風味のある蕎麦を出石焼の小皿に盛って提供する。
だしはメジカ(宗田節)に昆布等を合わせて作られる。
創業300年と言われる南枝の他、入佐屋、永楽蕎麦等が有名店である。
蕎麦と魚の相性では「にしん蕎麦」がある。
東京でも「にしん蕎麦」を提供する店は多いがやはり発祥は京都らしい。
明治期に総本家にしん蕎麦松葉の二代目松野与三吉が発案したと言われている。
松葉は元祖にしん蕎麦の味を守って繁盛している。
廣島県福山の名代御蕎麦処大市では季節になると名産の牡蠣を使った「かきそば」を提供している。
廣島牡蠣の風味が蕎麦と絶妙で評判が良い。
茅場町長寿庵のように都内でも季節になると牡蠣蕎麦を提供する店は増えて来ている。
長寿庵と言う屋号を持つ蕎麦店は多い。
歴史を遡ると元禄のころ三河蒲郡出身の三河屋惣七が江戸京橋にて長寿庵と言う蕎麦店を開業した事につながるらしい。
明治5年の大火の後に銀座の街が煉瓦造りとなった。
この時に銀座竹川町に煉瓦造りの洋館として蕎麦店長寿庵も生まれ変わった。
当時の蕎麦屋としては異例のたたずまいにて評判を得たらしい。
ここで修業した弟子たちが次々と独立して長寿庵を名乗ったようである。
現在既にこの店は無いが銀座7丁目の跡地に建つビルには「元祖長寿庵の碑」が刻まれている。
現在長寿庵を名乗る都内の店としては茅場町長寿庵が老舗として有名である。
赤坂長寿庵や銀座長寿庵、両国長寿庵等を中心に孫弟子や又その弟子によってそれぞれの長寿庵の会を作っていると聞く。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2012-10-22 16:18 | 食のサロン
食のサロン その29 《江戸前蕎麦の話 ⑨》
二八蕎麦とよく言われる。
蕎麦の何を指す言葉なのか、これには2つの説があるようだ。
当時蕎麦一杯の相場価格が16文で江戸っ子がしゃれて2×8で16から二八蕎麦と呼んだと言う価格説。
蕎麦粉8に対して小麦粉2の配合で蕎麦を作ったのでと言う配合比率を指して呼ばれたと言う説である。
価格説は物価には変動があり時代によっては16文が当てはまらないとして8対2の配合説を唱える人が多いようだ。
確かにつなぎとして小麦を2割ほど入れると良い蕎麦を打つことができる。
蕎麦粉10に対して小麦粉2の割合で蕎麦を打つ事もありこれを業界では外二八と言う。
こちらも風味の強い良い蕎麦となる。
どちらの説も、もっともらしい根拠もあるが否定する根拠もあり確かな処は分からない。
当時の風潮等を考えると案外単純に価格から客がそう呼んだあたりが真相なのかもしれない。
小麦粉に含まれるタンパクのグルテニンやグリヤジンはグルテンとなり網目構造を作り弾力を形成する。
饂飩やラーメンを一晩寝かせたりするのはグルテンの作用でこしを出すためである。
蕎麦を打つ時のつなぎには信州では地元でとれる山芋を使う事が多い。
新潟では海藻の一種のフノリを使う地方がある。
しこしことした触感と、のど越しの良い蕎麦として十日町の小嶋屋等が有名である。
山間部のある地域ではヤマゴボウの葉の繊維を使う処もある。
鶏卵を使ったらんぎり蕎麦もありこちらは更科系の蕎麦店で打たれる事が多い。
蕎麦は挽きたて打ちたて湯がきたてと言われる。
挽いたそば粉は空気中の酸素により酸化し風味が悪くなる。
保管温度も低温でなければならない。
したがって挽きたてに限ると言う事に成る。
挽く時に熱が掛かってはならないので昔ながらの石臼で挽くのが良いとされる。
蕎麦を打つ時熱を掛けず手早く空気を含まないように。使う水分も最小限にかつ粉っぽくならないように等々熟練の技と繊細な感覚が必要となる。
湯がき加減も芯に熱が通る直前のタイミングにてザルですくい上げ冷水で一気に引き締める。
放置しておくと水分が芯までしみこんで蕎麦が伸びてしまうので食べる方ものんびりしては居られない。
蕎麦が伸びるとよく言われるがこれは蕎麦の成分が水溶性による物と考えられる。
蕎麦は作り手も食べ手も江戸っ子気質のせっかちな人が良いのかもしれない。
白米を食べる江戸では脚気の患者が多く江戸わずらいと言われた。
ビタミンB1の欠乏症であるが蕎麦好きの人はなりにくかったのではないかと考えられる。
そばのタンパクや栄養素は水溶性なので一部が茹で釜に流出してしまう。
蕎麦作りに使う打ち粉は花粉(はなこ)とも言われるそば粉を使うがこちらも茹で湯に溶けてしまう。
蕎麦店に行くと蕎麦湯が出されるが小堺化学工業㈱顧問である鎌倉女子大名誉教授の成瀬宇平はこれを是非頂くよう推奨している。
蕎麦を食べ蕎麦湯を飲む事でルチンやビタミンB1を無駄なくとる事が出来栄養的にも理にかなった物となる。
蕎麦店にもこだわる店があり中にはわざわざそば粉を溶いてどろっと濃くした蕎麦湯を出す店もある。

                                                        文責:青木知廣
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by kosakai_blog | 2012-09-25 17:23 | 食のサロン



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