カテゴリ:社長の呟き( 9 )
社長の呟き その9 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》  2017.1~
『はし休め 2017.4』

「ヨム」と語呂合わせで4月6日から「春の新聞週間」とのこと。
小さい頃は子供、学級新聞と辿ったが、大人の新聞・全国紙を読み初めたのは毎夕の漫画「クリちゃん」が契機だったかもしれない。
第一面、経済面と読み進むようになったのはもっと歳を取ってからだが、最近は編集後記を真っ先に評点するのが秘めたる楽しみとなった。
若かった頃のロングマン英英辞典のサーフィン読みは知らない英単語で説明されている語句を次々と調べていく延々と続く波乗りのようで楽しかった。
老眼となった今、トイレでゆったりと新聞紙面を波乗りするのが趣味となった。
知らないことや好奇心を刺激する波が全紙面から次々と押し寄せてくる。
“毎日”発行。
“読”み返して校正、裏を取って“売”るは当然だが、“朝日“前にと焦ってそれを怠ってはいけない。
ましてや”似怪“は問題外。
経験・知識に優る倶楽部会員の歓心を得るのは”波”大抵なことではないが、逆さまから読んでも「シンブンシ」と小学生の頃の遊び心を基に、今後も愉しく広角度の波をお届けしたい。 


『はし休め 2017.3』

この年齢になると、戦後 まもなくは世の中の目に映るもの全てセピア色であったと感ずる。
みな貧しくて辛い時代であったせいか、愉しいことでさえ網膜にはセピア色のグラディエーションでプリントされ、地味ではあるが思い出深いアルバムが積み上げられていった。
そして時代の走馬灯が回るにつれ、徐々に明るい色が染込んでいく様であった。
六年前の三月、東北の人々の脳裏に刻まれるには原色は余りにも強烈過ぎ、白黒の残像へと少しでも柔らかく置き換えられてしまったことだろう。
大量の涙は悲しみを癒し、感動のそれは人々を勇気づけるとの科学説がある。決して悲しい思い出が消えさることはないが、せめて人々の心の中だけでもセピア色から次第にカラーの思い出へ変っていくように、そして早く喜びの涙も流れるようにと祈る。
三月十一日、震災から六年目の春はきっと色づいて歩み寄って来る。


『はし休め 2017.2』

先月20日、第45代アメリカ合衆国大統領に就任したミスター「Trump」。
遊具の「トランプ」は英語では「Cards」、「Trump」は「切り札」を意味する。
「Tramp(ズカズカと乱暴に歩く)」のスタイルから早く「a」を元々の「u」に戻し、”Make America Great Again”の公約通り、「切り札」の山を築けるのか注目したい。
小欄はさらに「i(愛)」と「h(エッチ)」を加えた「Triumph(トライアンフ 勝利)(仏読みは“トリンプ”)」の文字に惹かれると言ったら、ご婦人方から顰蹙を買いそうだ。
さて、例年正月号は理事長、2月と12月は副理事長が巻頭文を書くことになっているが、本号は小欄が担当した。
文中の「市井(しせい)」とは「古く、中国で井戸のある所に人が多く集まり、市(いち)が立ったところから、町、ちまた」を意味する。
この二文字はともに左右対称で、実に佇まいが良い。
また今号は会報発行から450号目、これを機に「姿勢(しせい)」を正していきたい。          


『はし休め 2017.1』

小欄は2012年12月号の創刊400号に平林総支配人から記念すべき一文をとのことで始まった。
404号より「はし休め」に改め、この新年号でちょうど50回となる。
これを機会に過去の駄文を読み返してみたが、 “箸休め”としてはお口直しどころか賞味期限切れ、“橋休め”としても日本橋川の静かな流れを乱して汗顔の至りだ。
ただ毎号四百余字を“痛“読頂いた奇特な方々の“辛”抱強さには感謝したい。
ちなみに第400号の“編集後記”にこう記している。
「『創刊400号に想う』 記念すべき創刊号は昭和54年9月発行。当時の三輪純巨・会報委員長は創立90周年を翌年に控え、1200名を擁する会員に細田修三理事長の訃報を伝えている。追悼文を寄せた方々も、今はすでに鬼籍に入る。単純に計算しても三十数年の号を重ねる伝統とその記念すべき標に佇む機会を得たことを心より誇りに思う。」
小欄も筆ならぬ“はし”を置くまで“奇跡に入る”。 


                         文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎   
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by kosakai_blog | 2017-01-04 17:25 | 社長の呟き
社長の呟き その8 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》  2016.1~2016.12
『はし休め 2016.1』

昨年は三の酉まであったが、果たして火事は多かったのだろうか?
「火事と喧嘩は江戸の華」、 ほぼ3年おきに起こった大火災の中でも3日間に渡り、10万8千人の江戸っ子とともに世界初の百万人都市を焼き尽くした「明暦の大火」はまさに三の酉まであった年に起きている。
当時3年続けて同月日の1月18日に恋の病で亡くなった17歳の3人の娘がいた。同じ振袖に袖を通した凶を絶つため、明暦3年(1657)1月18日、本郷・本妙寺にて焼き清めようとしたところ、強風にあおられた火まみれの振袖が江戸八百家町を火の海へと落としめた。
この別名「振袖火事」は江戸城天守閣をも焼失せしめ、以降再建されることはなかった。
皇居東御苑にその石垣を残すのみとなった天守台跡から眺めるお江戸は今年も元旦から多くの振袖姿で賑わい、今や大火を寄せつけない高層ビルは初日の出に映え、燃えるように聳え立っていることだろう。
                           
『はし休め 2016.2』

正月気分も去り、もう節分を迎えるが、取り残した新年会はもとより忘年会までも引きずり未だ友人らと楽しんでいる諸兄も大勢いるだろう。
しかし一月十七日の阪神・淡路、三月十一日の東日本という二大震災に挟まれ、大事な家族や友人を失った多くの方々はたとえ日数は短くとも長く辛く感じる二月でもあろう。
今年はうるう年である為、実際に今月は一日長い。
太陽暦と地球の自転速度とのずれを4年に1度修正する為のしくみだが、この太陽系に第9番目の惑星の存在する可能性をカリフォルニア工科大学が先月発表した。発見されたら、天王星、海王星に続き新王星とでもなるのだろうか?
まだ見ぬ夜空の新天(店)にワクワクしながら、その輝きに惑わされる愉しみがまた一つ増えてしまった。

 『はし休め 2016.3』
                       
「姑息」嫌な字だと母が良く言っていたが、嫁は嫌い、溺愛される幼い孫たちは好きなどと軽口は叩けない。
「暫らく」の「休息」から「その場しのぎ」を意味し、「卑怯」「ずるい」では決してない。
「女の足駄(あしだ)にて造れる笛には秋の鹿寄る」女性の色香に惑わされる男はいつの世も女性の「姑息」に翻弄されているが、素敵な女性と同行している時、通りすがりの女性の表情からその同伴者への厳しい評価が読み取れ、「女の敵は女」と笛に弱い都会の鹿どもは鹿脅しにあったようにすくみあがる。
「女三界に家なし」女性は順次、「親」「夫」「子」に従っていく定めと昔から言われるが、現代は既に「男三階にもどこにも居所なし」の為体ぶりだ。
しかし三月は敬愛してやまない姑から姫たちの雛祭り、無謀にも懲りない夜の檀家周りが始まる。
         
『はし休め 2016.4』

三月、島根県安来市の足立美術館にて魯山人の言葉に出逢った。
「なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人が出て来ないものかと私は待望している。(中略)仕事を役目のように了えて他のことの遊びによって自己の慰めとなす人は幸せとはいえない。政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのである。」慰めの遊びさえも持ちあわせていない自分に気付き、唖然とさせられた。
四月から新社会に出帆する人達にこのことを伝えるには勇気がいる。
過去「学生時代に学んだことをそのまま社会で活かせる者は幸せ。
これからは新しいことを学び・・・」と“遊び”との住み分けを幾度となく若者に訓じてきたことか。
“書く”ことはもとより、恥を“かく”ことにさえ遊べない小欄にとって、仕事に遊ぶ努力とは重すぎるが、これが達人の成せる技の原点なのかもしれない。
せいぜい仕事がてら観桜に遊ぶを努力目標としよう。

『はし休め 2016.5』

「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し」
口は悪くとも、五月の鯉のぼりのように腹の中には何のわだかまりもない江戸っ子のさっぱりとした気質を言い表しているものだが、最近は「五月(ごがつ)病」などと呼ばれるウエットな病気もあるくらいで、この表現も化石化しているようだ。
伊達の薄着で「宵越しの銭は持たねぇ!」などと豪語する猛者もいないし、すぐに「鯉口を切る」なんて短気ももう存在しない。
一方、「江戸っ子は五月(さつき)の鯉で口ばかり」とも言われる。
「五月蝿い(うるさい)わね!」などと言われる前に「さっきは“恋”の聞き流し?」と五月らしく、さらっと粋に異性に囁いてみたいものだ。
 
『はし休め 2016.6』

半世紀前の1966年6月29日、ビートルズは最初で最後の日本公演を武道館で行った。
米国人気TV番組「エド・サリヴァンショー」に1964年2月9日から3週連続で出演後、瞬く間に人気バンドとなったマッシュルーム・カット集団の世界ツアーは1966年6月24日から3日間のドイツ公演からスタートした。
そして次に向かった国が日本。
本年3月に90歳で亡くなったプロデューサーのジョージ・マーティン氏は名曲「イエスタデー」に初めて弦楽四重奏を使うなど、今までの常識を打ち破る新しいスタイルを彼等とともに創りあげた。
早世したマネージャーのブライアン・エプスタイン氏と彼がいなかったら、他社のオーディションでは落とされ続けていたビートルズは世界のそして世代を超えて愛される存在にはなっていなかった。
武道館でのロック・コンサート初開催は当時異論も多かったようだが、今となっては「It seems like only YESTERDAY ! 」

『はし休め 2016.7』

「火事と喧嘩は江戸の華」とは江戸っ子も随分荒っぽいことを言ったものだ。
しかし、これは江戸・町火消しの威勢の良さを表現したもの。
お江戸265年の間に大火は96回、三年に一度おきている。
木と紙でできた家々を破壊して延焼防止するのが当時の消火法。
火消は先陣を争って屋根に上り、纏を振り上げ、打ち壊す家を示し、火事場を仕切る組同士の命がけの喧嘩となる。
因みに「いの一番に駆けつける」とは江戸城に最も近い「い組の一番」から来ている。
真っ暗な夜空に真っ赤な火花、江戸時代の野次馬は現代の花火大会のようにパーフォーマンスとして火事を観ていたのかもしれない。
会員の煙火店「丸玉屋」小勝さんの声はまるで遠雷のように太く、ずどんと響く。
華火師の安全に必要不可欠なDNAは導火線のように延々と引き継がれている。
今夏七月も夜空の鮮やかな華と轟き渡る音とともに訪れる。 
      
『はし休め 2016.8』

永六輔が八と九に再会するため遠くへ逝ってしまった。
八・九とは作曲家・中村八大と歌手・坂本九。
この六八九トリオで名曲「上を向いて歩こう」を昭和36年、世に送り出した。
中村メイコが神津善行と結婚すると告白したところ、六輔の目からポロポロと涙がこぼれ、この失恋歌が生まれたと言う。
さて浅草生まれで洒脱な彼は『「粋」は「米」を「卒業」すると書き、「米が立って」粒揃いになる様』と語っている。
混ざりけが一切無く、キメ細かく、そしてさりげなく洗練されている風体や気性。
関西では“すい”と読み、「不粋(ぶすい)」は嫌われ、関東では「野暮(やぼ)」は「粋(いき)」に縁がない。
ところで八十八、九十と書いて「粋」。
八十九が抜けているが、どんな桁数の数字でも各位を二乗して足し算をすると不思議だが一か八十九に必ず行き着く。
「粋」を地で行く細田前理事長は今月八十九歳になられるが、この見えない「字間」を経てさらに「粋」を極められことだろう。
             
『はし休め 2016.9』

「酔い醒めの水 下戸知らず 」とは言い得て妙である。
自然を詠む俳句と違い、季語不要の川柳は春夏秋冬、毎夜同じ繰り返しの呑兵衛にとって居心地は良いが、「江戸っ子は宵越しの金(銭)は持たぬ」の故事に至ってはただのやせ我慢だなとつくづく自省。
「戸」とは律令制での課税単位、その税額によって婚礼時での酒量を大・上・中・下と定めたことから酒に対する強さを表すようになった。
八月のリオ デ ジャネイロ・オリンピックの生中継は昼夜真逆のため、小欄はとっくに前後不覚となり、「宵越しのメダル 上戸(漏斗)知らず」となることしきり。
日本の金メダル12個は16個の東京大会、アテネ大会に及ばなかったものの、メダル総獲得数41は過去最多だ。
再びリオを舞台として今月7日から12日間、パラリンピックの躍動が見られる。
さて4年後の東京オリンピック・パラリンピックはお膝元、吉報は「宵(酔い)前の金(きん) 江戸知らす」と期待したい。

『はし休め 2016.10』

「春夏秋冬」 秋のみ“偏(へん)”と“旁(つくり)”から成るが、それぞれの四季を“旁”として彩った美しい漢字がある。
「椿(つばき)榎(えのき)楸(ひさぎ)柊(ひいらぎ)」
「鰆(さわら)魚夏(わかし)鰍(かじか)鮗(このしろ)」
「楸」を店名にした老舗オイスター・バーが銀座にあるが、なるほど秋の旬を“飽き”ることなく味あわせてくれる。
「さんま」が「かじか」になぜ席を譲ったか不思議だが、「秋刀魚」の字には先人の視的感性が溢れて出ている。
「鰍」はその容姿を“愁う”必要はない。
「ゴリ」「ドンコ」などと呼ばれ、焼物はもとより汁物や骨酒まで味では少しも引けを取らない。
さて明治41年以来、日本橋本町の薬種商達によって執り行われてきた「薬祖神祭」が33年ぶりに遷座された新社殿にて今月行われる。
神殿を囲む石柱には寄進により日本橋倶楽部の名も刻まれている。
秋酒「ひやおろし」をお神酒に訪れて頂きたい。
    
『はし休め 2016.11』

先日、ブルックナーの交響曲第7番をズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で聴くことができた。
ブルックナーの作品中、最も成功したこの交響曲は1885年、ルードヴィヒ二世に献呈されているが、第二楽章アダージョは1883年に亡くなったワーグナーに捧げられた。
このバイエルン国王はパトロンとしてワーグナーを寵愛し、ブルックナーはワーグナーを師と仰いだ。
日銀本館や中央停車場(現東京駅)を設計した辰野金吾は出身地唐津で英語を習った恩師高橋是清の後を追って上京する。
工部省工学寮(現東大工学部)に入学し、鹿鳴館、開東閣、三井倶楽部などを設計した英国人コンドルを師として大成功を収め、日本橋・北詰にあった「帝国製麻ビル」も設計している。
いま1896年竣工の日銀・本館を室町三丁目の交差点から眺めることができる。
ここからこの先百年は拝めなくなるだろう秋陽に翳る花崗岩の建物を眺めながら、辰野も師とともに渡った名橋・日本橋まで歩くのも楽しかろう。 

『はし休め 2016.12』

過日、「箱根駅伝ミュージアム」を訪れる機会があった。
早稲田、慶應、明治、東京高師(現筑波大)の四校が出場した大正九年の「四大校駅伝競走」から始まったこの余りにも有名な駅伝の現在名は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。
関東学生陸上競技連盟が主催するため関東の大学のみ出場権を有する。
第75回(1999年)大会から復路の第10区は日本橋を渡って、読売新聞本社前のゴールへ向かうように変更された。
これは「名橋・日本橋保存会」などの地元団体が東海道の始点である日本橋を通過する意義を熱心に説いたからである。
橋から1キロメートル先のゴールまで、シード権をかけた熾烈なドラマは橋北詰を左折してから幕が開くが、江戸時代から続く老舗眼鏡舗の十四代目当主が「駅伝も室町三丁目の交差点まで来てくれないと『益出ん!』」と呟いていたのを思い出す。
お江戸日本橋の新年は三日昼九つ半から箱根からの疾風で明ける。


文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎     
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by kosakai_blog | 2016-01-25 19:37 | 社長の呟き
社長の呟き その7 《妄想「倶楽部と黎明期の日本橋」ー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》 2015.7

妄想「倶楽部と黎明期の日本橋」

                      2015年7月号「巻頭挨拶」

                      理事 小堺裕一郎

「日本銀行のそれとたがわない紋様飾りが施された重々しい扉の前で、静かに目を閉じると猪苗代の穏やかな湖音とともに母の呼ぶ声が聞こえてきた。扉が開かれる音に目を開けると大會堂の中に恰幅の良い人物の姿を探し求める。万雷の歓声と拍手は、その人物が口を開くまで鳴り止まなかった・・・・・。大正4922日、それは日本橋俱楽部における北里柴三郎主催の野口英世の帰朝講演会の開会を告げるものであった。」

2012年、東日本大震災後の福島県復興支援旅行で「野口英世記念館」を訪ずれる機会があった。館内で偶然見つけたのが15年振りに帰国した英世の帰朝講演会を日本橋倶楽部で開催したとする一枚の写真である。

柴三郎は明治18年(1885ベルリン大学のコッホ博士の下へ留学する。

後に世界的に評価の高い細菌学者に成長した彼は明治27年(1894)、香港で猛威を振るっていたペスト菌を発見したが、その翌週にも仏学者が同地で発見する。2人は共にその第一発見者とされたが、その後柴三郎は第一発見者かどうかの論議で渦中の人となる。昭和51年米国の学者らの研究によってペスト菌の第一発見者であると発表されたが、実に80年後のこととなる。また明治34年(1901)に創設されたばかりのノーベル賞の初代候補者にも挙がりながら母国医学会の中傷に会い、受賞を逃している。

英世は柴三郎が創設した伝染病研究所に明治31年(1898)に入所した。彼の支援により明治33年(1900)に米国へ留学後、ロックフェラー医学研究所研究員として細菌学研究で頭角を現す。ノーベル賞候補として3度も名前が挙がったが、昭和3年(1928)アフリカの地で研究対象であった黄熱病に自ら罹患し、51歳の若さで、その3年後の昭和6年(1931)に柴三郎が脳溢血により78歳で亡くなり、明治・大正の近代日本黎明期に予防医学の基礎を築いた師弟はそれぞれ生涯を閉じるのである。

「旧伝染病研究所」(現・東京大学医科学研究所)の瀟洒な煉瓦造りの建物が白金台にある。内田祥三設計による昭和12年(1937竣工のこの建物の近くにある「近代医科学記念館」には両氏に関する資料が展示されている。また柴三郎自ら創立したこの「伝染病研究所」初代所長を辞し、大正3年(1914年)に設立した「北里研究所」もここからほど近い場所にある。この師弟の魂はこの地に留まり見守っているようだ。

日本橋は江戸末期から明治にかけて海外科学の習得の場所であった。シーボルトの定宿であった「長崎屋」(現室町4丁目)は蘭学・医学の発信地と言われており、英世の講演会場として当倶楽部を選んだ柴三郎の思いを感じずにはいられない。初夏の橋上から眺める日本橋川の緩やかな流れは長い歴史の川音が聞こえて心地よい。
                       文責:小堺化学工業㈱代表 小堺裕一郎


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by kosakai_blog | 2016-01-25 19:19 | 社長の呟き
社長の呟き その6 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》       2015.1~2015.12
『はし休め 2015.1』
倶楽部の大先輩S理事から手締めの一本を「十〆(とじめ)」と呼ぶと教えられた。
「三 三 三 一」と十回手を打つのを一本と数え、三の三倍の九という字の真ん中に一を加えてはじめて「丸く」治まる。
また一回だけ手を叩くのは決して一本ではなく「一丁〆」であると。
中締めで「関東一本締め」などと言いつつ、一丁〆をしてしまう光景に良く出会うが、知らぬこととはいえとんだ恥をかくことになる。
古くから日本橋には本町三本締めがある。
つまり丸が三つ、三十回も手を打つ。
最後のほうには皆の気持ちが合ってくるから不思議なものだ。
因みに外神田の練成中学校跡にできた文化芸術施設「ちよだアートスクエア」は何と粋に「アーツ千代田3331」と名付けられ、先に一本取られてしまう。
会員諸兄も新年から手締めを頼まれる機会が多いと思うが、ここは手が痛くなろうとも十〆をとお願いしたい。
それでは今年もよろしくご愛読のほどを。
シャン・シャン・シャン!
失礼、三丁〆となってしまった。


『はし休め 2015.2』
カナダの青年、ニール・パスリチャが作成した「1000 Awesome things」は世界一のプログ賞を2年連続で獲得した。
「Awesome」は「素晴らしい」という意味で最近若者に多く使われる英語であるが、辛く過ぎ去る日々にも小さな嬉しい出来事を一つ一つ見つけ、1000からカウントダウンして書き込んでいくと、とても幸せな気持ちになれるとういうブログだ。
これが自分ブログとして拡がっているそうだ。
例えばコートのポケットから無くしたと思っていたお金が出てきた、朝のネクタイが一回で綺麗に結べた等々。つまり「徒然なるままに、電子機に向かひて、心にうつりゆく嬉しき事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ楽しけれ」と幸せな気分になれる。
愚生にとって今年の初「Awesome」は疲れ果てて俱楽部に辿り着いた時「NバーテンダーとN澤さんが優しく微笑みかけてくれた」こと。
今年の倶楽部にはどんな素晴らしいことが待ち受けているのだろうか!


『はし休め 2015.3』
涙は「悲しみ、怒り、悔しさ、痛み、喜び、感動、笑い、あくび」の時に出てくる。
とくに悲しい時や嬉しい時、つまり感情が高ぶった時には大量に出ることが多い。
その成分は98%の水、約1.5%のナトリウム・カリウム・アルブミン・グロブリン、0.5%のたん白質からなり、弱アルカリ性である。
生化学者のウィリアム・フレイ二世によれば感情による涙はその他の涙より高濃度のタンパク質を含み、感情的緊張によって生じた化学物質を体外へ除去するという。
とすれば、この成分を流し出して悲しみが癒されるなら大いに泣いた方がよい。
未だに行方不明者2,590名、5年目を迎える東北の地では一体どれ程多くの涙が流されてきたことだろう。


『はし休め 2015.4』
パリには終着駅が6つある。
列車は郊外からそれぞれ方面別の駅に着くなり、始発として新たな乗客と出逢い本線へ戻って行く。
幼い頃、両国駅で蒸気機関車に乗り換え、千葉へ海水浴によく行ったことを思い出した。
周辺には相撲部屋が多いが、ちゃんこ料理には決して地面に手をつかない二本足の鶏肉のみを使うというのはゲン担ぎ。
房総方面からの終着駅であったため千葉県産の良質な鶏肉が両国駅に多く集まったことにも因るようだ。
先月上野東京ラインが開通し、宇都宮、高崎、常磐の各線で上野駅乗換えが無くなり便利になったが、ただの通過駅になってしまった。戦後の高度経済成長期、集団就職列車で郷里からの終着駅、そして人生の始発駅として上野駅に初めて降り立った世代にとっては淋しいことに違いない。


『はし休め 2015.5』
“蝶々結び”は母親から習った方が多いのではないかと思う。
ときおり自分の結び方に、後ろ脚の少し長いおふくろの味付けであることを自覚する。
あの日、暖かい縁側で背後から包むように結び方を教えてくれた母の指の温もりが甦る。
靴を履くたびに亡き母を思い出すほど孝行息子ではないが、私の手元をイタズラっぽく覗き込む優しい笑顔が目に浮かぶ。
五月第二日曜日は母の日。
電話やメールの向こうの顔を探ったり、思い出に浸りながら線香を手向ける方も多くいるだろう。
その点、 “蝶ネクタイ”の結び方すら知らない小欄は来月の父の日でも振込め詐欺すら縁がない!

『はし休め 2015.6』
山高帽とステッキ姿の英国俳優が愛してやまなかった明治20年創業の元祖御座敷天婦羅屋がかつて濱町にあった。
大鳥居駅近くの住宅街にわけあって移転したその店を数年前に訪ねたことがある。
コース料理の〆の頃、店内の写真に恐る恐る話を向けると寡黙であった老店主の口から写真の主と日本橋の思い出話が堰を切ったように流れてきた。
1932年以来4回の来日の度に濱町の店まで訪れた大スターの日本贔屓は運転手として雇った米国移民の日本人の影響と言われている。
のちに秘書にまで登りつめた高野虎市の献身的な働きはチョビ髭とドタ靴スタイルで人々を魅了し続けた喜劇王の心を捉え、帰国した元秘書に米映画配給会社・日本支社長の地位まで用意させた程であった。
1971年虎市は広島で、チャップリンは1977年クリスマスの朝スイスにて永眠している。
日本橋區濱町は、1906年竣工の初代日本橋倶楽部會館があった所。
日本橋界隈と著名人、ちょっと迷い込んだ路地裏でさえ、あのステッキとドタ靴の音が聞こえるようで奥深い。

『はし休め 2015.7』
世間では土曜の夕食はビフテキかスキ焼が定番なのかと幼い頃、羨ましく思っていた。
「土用丑の日」今夏は7月24日と8月5日と2回ある。
そもそも夏以外にも「土用の日」があり、「土用丑の日」は年間数日あるそうだが、平賀源内の発案が功を奏したのか売れなかった夏に滋養供給で人気となり、本来脂の乗った美味しいはずの冬に売れなくなってしまったのは皮肉なことだ。
鰻家が集中する浜名湖畔にある天然鰻のみの「さくめ」では “背を開き、蒸さずに焼いた”鰻を食することができる。
武家の多かった江戸では切腹を嫌い、背を裂いて蒸し、関西は腹開きで蒸さずに焼く。
この地域は丁度その食文化の境目のようだが、さすが美味い食材には色々な食し方があって嬉しい。
現在、絶滅危惧種に指定されてしまった鰻、店に入ってから価格を見て“ドウヨウ”しないようにと今から近大の“ナマズ” 蒲焼ならぬ固唾を飲んでいる。 

『はし休め 2015.8』
八月は昔から「二八」(にっぱち)と呼ばれ、二月とともに商いが冷え込むと言われる。地獄の閻魔大王でさえ釜の蓋を開けて休むそうだが、口八丁手八丁、八方美人、“8”は横に寝ても “∞”(無限大)などと数字は暑い。
末広がりの“八”は富士山の姿に似て、日本人が好むのかもしれない。
太陽光は地球に届くまでに8分程かかる。
この日射との闘いの舞台でもある夏の甲子園は第一回全国中等学校優勝野球大会から数えて100周年を迎える。
球児達は今大会も“ハチ”切れんばかりの元気を見せてくれるだろう。

さて、お盆で自宅へ還られる物故会員には倶楽部バーまでちょっと寄り道して頂き、毎月“ハチ”まき姿で苦闘する小欄への助言もお願いしたいものだ。

『はし休め 2015.9』

「秋刀魚」文字通りの体形を有するこの魚はたっぷりと餌を喰らい、産卵のため南下する途中、脂の乗ったその身を三陸で水揚げされる。
落語「目黒のさんま」に因んだ祭りが二つある。

「目黒のさんま祭り」(今年の開催は96日)は目黒駅東口の品川区側で宮古からの六千尾と徳島産のすだち一万個を、「目黒のSUNまつり」(同920日)は目黒駅西口の目黒区側の公園で気仙沼からの五千尾と大分県産のカボスを無料で振舞う祭りだ。秋刀魚は過去何十年も無料で産地から送られてきたが、東日本大震災の際、三陸のこの二市は被災しながらも絆を絶やさぬよう大変な苦労をして集めたと聞く。「さんま苦いかしょっぱいか」は佐藤春夫の詩だが、その年の秋刀魚はさぞかし苦く、涙味の利いたものになったことだろう。さて、今年も涙を煙のせいにして、殿はいざ目黒へ!


『はし休め 2015.10』

「樂」は巫女が鈴を持って舞う姿。古代より穢れを祓い、霊を鎮め、疫病を祓う儀式は人々を「楽」にする重要なものであった。それらに使われた生薬は自然界に薬効を見出された植物、動物、鉱物由来のもの。とくに畑で計画的に育種することができる薬草は神の力を示威するために秘薬の如く扱われた。

「樂」が草(草かんむり)を掲げてお祓いをすると「藥」・・・。これは全く小欄の戯言であるが、江戸時代に生薬は薬種問屋を通じて日本全国に瞬く間に流通していく。

「三丁目 匂わぬ店が 二、三軒」という川柳があるほど、日本橋本町、室町、本石町三丁目には古くから薬種商が集まっており、大坂道修町とこの地域は東西の薬の発祥地と並び称される。例年1017日(本年は16日)の「薬祖神祭」には毎年三千人ほどが参拝するが、来年より神殿が「福徳神社」と同敷地の鎮守の森の一角に遷座されるため、本年が現在の地では最後の祭事となる。続く1920日の「べったら市」の匂いとは全く違う、かつて町中を覆いつくしていた「にほひ」に想いを馳せつつ、訪れてみてはいかがだろうか。


『はし休め 2015.11』

先月は生理学・医学と物理学、2部門のノーベル賞を日本人が受賞して大いに話題になったが、人々を笑わせ、考えさせる研究に与えられる「イグ・ノーベル賞」も10月に発表された。
本家を上回る60人ほどの日本人が過去その栄冠を手にしているが、本年の医学賞授賞の木俣医師のテーマは「キスはアレルギー反応を和らげ、長い時間し続けると病気にかかりくい」という何とも嬉しいもの。

60年前の10月、24歳で駆け足の人生を閉じたジェームス ・ディーン、生きていれば素敵なキスシーンを魅せてくれたに違いない。

路チューは外国人や若いカップルだけの特権ではないが、違反切符も切られずに、アレルギーを克服できると“ジミー”になったつもりで、スキあらばキスに挑むと翌朝左頬を腫らすことになるかもしれない。
1122日はいい夫婦の日、この効能は是非ご自宅で検証されたい!


『はし休め 2015.12』

本年も残すところ1ヶ月、喪中葉書が寒風とともに届く頃となった。来年は「申」年だが、干支の中で唯一「辰」が想像上の動物である。

動物は一般的に「匹」か「頭」、民話の中で竜も「匹」と数えられようだ。また兎は1羽,2羽と一見不思議だが、仏教で肉食が禁じられていた昔、許されていた鳥肉と同類として食することができるようにしたと言う説に納得がいく。少し“はずれる”が、ギャンブル好きは馬を1着、2着と数えるらしい。

小欄が今年、“羊が1名(メェー)・・・”と敬意を表していたのは不眠症であった為では無い。

さて猿は「匹」「頭」、どちらでも良いようである。来年も倶楽部では1宴(エン)2縁(エン)たまには艶(エン)と友を増やしていきたいものだ。どうぞ良い年をお迎えください。





                        文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎


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by kosakai_blog | 2015-07-15 18:34 | 社長の呟き
社長の呟き その5 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》       2014.1~2014.12
『はし休め 2014.1』
「日向、人肌、ぬる、上、熱、飛び切り」温泉の湯温のことではない。
「飛び切り」は「ひれ酒」と聞けば、左党の方は「燗酒のつけ方」とすぐ勘が働くことだろう。
夏に向かっては「涼(すず)、花、雪」「冷え」と温度を下げて、さらに喉を唸らせてくれる。
世界広しと言えども、これほど巧みに季節を愛でながら愉しめるのは日本酒だけである。
兎にも角にも、日本酒は旬を「五感」で愉しむ「和食」に良く合う。
昨年12月に「和食」がユネスコの世界無形文化遺産に登録された。
広く日本の伝統的な食文化が認められた訳だが、一方未来への伝承の義務も課せられた。
日本文化を保護するのも日本酒と同様、「勘(燗)所」が肝心のようだ。
本年も倶楽部会報のご愛読よろしくお願い申し上げます!

『はし休め 2014.2』
この酷寒に福島第一原発「トレンチ」では懸命の復旧作業に従事する関係者たちがいる。
原発報道でしか耳慣れない「トレンチ」だが、第一次世界大戦の英国で「トレンチ(塹壕)」用戦闘服として開発された肩章ベルト、手榴弾と水筒をぶら下げる金属リング付きの「トレンチ・コート」を連想すれば分りやすい。
つまり「トレンチ」は単なる「溝」のこと。
「マネー・ロンダリング(裏資金洗浄)」は銭洗弁天様へどうぞと言ったら間違いなく罰が当たるが、こちらも「ランドリー(洗濯屋)」でお馴染みの「マネー・ランドリング」と言った方が分かりやすい。
なぜ学者や専門家たちは本来普段着の外国語を着こなしの難しい他所行きにしてしまうのだろうか?
ここに乗り越えられない大きな「溝」を感じる。
2月のソチではコート不要、言葉の溝もない若者達によって熱気溢れる冬季五輪が開幕される。

『はし休め 2014.3』
人間の本能のひとつに悲しみと痛みを和らげる鎮痛剤のような防衛機能がある。
悲痛な出来事にかさぶたをし、たとえ大きな傷跡が残ろうとも、指でなぞれる程に治癒させる。
東京オリンピックの1964年に公開された映画「シェルブールの雨傘」で花屋の娘のカトリーヌ・ドヌーブがこう歌う。
「死ぬほどあなたに会いたいのに、どうして死んでしまわないの?」。
この複雑な思いをかの地の人々はどれほど噛みしめたことだろう。
しかし痛みと悲しみはやがて、心の中にしっかりと未来に花咲く種を植え付ける。
3月11日、東日本は震災から3年目の春を迎える。

『はし休め 2014.4』
現在の「日本橋」は、初の石橋として1911年(明治44年)4月3日に生まれた。
「三代以上」、「神田上水につながる日本橋川で産湯」の条件を満たすので“ちゃきちゃき”の江戸っ子である。
家康、幕府開幕の1603年、日本橋川に初めて木造りの橋が諸大名の寄進によって架けられたという。
度重なる大火に燃え落ちないようにと花崗岩製になった20代目は関東大震災、東京大空襲にも生き延び、1999年に国の重要文化財に指定を受け、103歳を迎える。
1964東京五輪の前年より頭上の視界に不自由な50年を過ごしているが、56年ぶりの2020東京五輪開催決定に今回ばかりは期するところがあり、喜んでいることだろう。
昨年末、麒麟像天上の特別席に図らずも移籍された名橋「日本橋」保存会」前事務局長、そして我倶楽部会員・故 永森昭紀さんは先月新生成ったばかりの日本橋倶楽部とその界隈に笑みを返しながらも、未だに天上からの眺望に欠けるこの橋の現状に「こちらも早く!」と呟いておられることだろう。

『はし休め 2014.5』
「君、胃がんで会社を辞めることを何て言うか分かるか?」
「依願退職?! では大腸がんは?」と切り返す。
今は亡き大先輩とのやりとりである。
「長男は腸なんです。次男は痔なんです」の類とは一線を画す際どいブラックユーモアを江戸っ子は好む。
物議を醸すことがあろうと、友好距離を推し量って、相手との間合いを鋭く詰めて行く。受け手の余裕もあろうが、そこで怒り出す輩は「野暮」と、それこそ野で一人淋しく途方に暮れることになる。
さてさて、答は「懲戒解雇」である。
新会館がオープンして早3ヶ月目、これからも痛快な会話が倶楽部バーをブンブン飛び交う。
なんて粋なのだろう!

『はし休め 2014.6』
♪ 粋な黒塀、見越しの松に ♪
五月の「三社祭」で神輿を眺めながら、ふとこの歌詞が浮かんだ。
日本橋生まれの祖母に聞かされていたであろう春日八郎の昭和29年の大ヒット曲「お富さん」を「神輿のマーク」と幼い頃覚えた。
「見越しの松」の意味が解ったのは「世は情け浮世の横櫛」を知ってからだ。
♪ 死んだはずだよ、お富さん ♪
中村時蔵丈による「切られ与三郎」ならぬ「切られお富」を観賞した。
見事な悪婆役であったが、その恨み節の舞台となったのが幕医・岡本玄冶の拝領屋敷跡の「玄冶店(げんやだな)」(現人形町)である。
「切られ与三郎」では「源氏店(げんじだな)」、「切られお富」では「玄治店(げんじだな)」と遊び心がある。
日本橋界隈には当時から粋でいなせな店子(たなこ)が大勢いたことだろう。

『はし休め 2014.7』
「牛乳を飲む人より配達する人の方が健康である」という格言がある。
飲む人が不健康とは限らないが、届ける人の方が心身ともに健康なのは確かなようで、特にスポーツでは顕著だ。
先月よりブラジルで開催されている「FIFAワールドカップ」では「感動を届けるプレーヤーの方が健康」なのは確かであるし、昼夜が逆転した地球の反対側の試合を目を擦りながら観戦し続けている人は彼らより健康とは言えない状態かもしれない。
しかし感動は牛乳に勝るとも劣らない栄養源だ。
スポーツだけにかかわらず、万事届ける人の努力を思い量って、それを心から味わうというのがこの格言の本来の意味だろう。
いよいよ参加32チームの頂点が決まる64試合目の試合が日本時間7月14日4時に行われる。
前夜に深酒などせずに体調を整えるとしよう。

『はし休め 2014.8』
「ショウシャとハイシャ」 職業分類ではない。
勝負の世界がある限り、全てにこの二者が生まれる。
7月のサッカーワールドカップ、ドイツ対アルゼンチンの決勝戦はやはり欧州と南米の対決、延長後半にまでもつれ込む1点を争う熱戦となった。
栃若、柏鵬時代などと書くと年齢が知れるが、記憶に残る昭和の名勝負は互いに尊敬してやまないライバルがいればこそ生まれた。
敗者がいるからこその勝者、“勝者は奢らず、敗者は腐らず”。
ラクビーではゲーム終了を敵も味方もない「ノーサイド」と呼ぶ。
先月行われていた都市対抗野球で久しぶりに試合終了後のエール交換に立ち会った。
勝負がつけばお互いの健闘を称えるこの儀式に何故、手が痛くなるほど相手に拍手を送りたくなるのだろうか。
儒教の教え五常の一「仁」は相手を思いやり、いたわることを意味しているそうだが、「二人」と書く。

『はし休め 2014.9』
岩手県船越湾を見下ろす大槌町の高台にある白い「風の電話」ボックスには線のつながっていない黒電話をかけに来る人が後を絶たないそうだ。
大震災の犠牲者とその遺族が対話する空間として、中にあるノートには亡くなった人への思いがつづられていく。
この実話をもとにした「かぜのでんわ」(いもとようこ著、金の星社)という絵本が話題になっている。
家族を失ったタヌキ、ウサギ、キツネが山の上の電話で話しかける物語である。
そしてある日、かかってくるはずのない電話が鳴る・・・・。
先月63歳で自らの命を絶った名優ロビン・ウィリアムズは「パーキンソン病」を患っていたそうだが、この難病を著書「ラッキー・マン」で告白し、多額の研究助成金を集めることに貢献した俳優マイケル・J・フォックスがロビンにこの電話で声をかけたら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と諭すのだろうか?

『はし休め 2014.10』
「でかした!錦織 圭」で書き出しを決めていたが、全米オープンテニス準優勝はまだまだ上が望める。
国枝 慎吾と上地 結衣は全米オープンテニス車いすの部優勝、史上最年長で準決勝へ進出した伊達 公子を含め4人のKの快挙である。
また2人の吉田証言と調書では揉めていたが、3人目の吉田 沙保里は女子レスリング世界選手権10連覇をし“でかした”。「霊長類最強女子」と揶揄されようが、文句なしのあっぱれである。
原爆投下の1945年8月6日、広島県に生まれ、1964年東京五輪のラストランナーとして当時19歳で聖火台に火を灯した坂井 義則さんが69歳の若さで9月に亡くなられた。
テレビ局で五輪の取材も経験されたそうだが、これら日本選手大活躍のラストコメントをお聞きしたかった。

『はし休め 2014.11』
10月には東海道新幹線開業と東京五輪開催から50年目を迎えた。
「第18回オリンピック競技会」が当時の正式名称だが、現在では当たり前になった「パラリンピック」の文字は見当たらず、同年の11月8日から5日間行われた競技は当時中学二年であった小生には全く記憶にない。
しかし今やパラリンピック抜きには競技は考えられない時代となった。
また日本人三氏が青色発光ダイオード発明によりノーベル物理学賞に輝いた。
中学で覚えた「光の三原色」は「赤 緑 青」 この3つの光は混ざると白色になる。長年かかって最後に開発された青色発光ダイオードの人類への貢献度は多大だ。
一方「色の三原色」は「赤 黄 青」、 絵の具の黒色はこの3色を混ぜて作る。
大人になって覚えた「酒の三顔色」は青色が入った途端、光と色に魅せられて最後には白黒がつかぬことになる。
                                                   
『はし休め 2014.12』
郵便受けに喪中はがきを発見するつけ、そのご不幸に気付かず師走を迎えてしまった自分を恥じ、訓えられた「億劫相別れて須臾も離れず」を念仏のように唱えている。
米国オレゴン州で脳腫瘍のため余命半年の29歳女性が宗教団体からの説得にも屈せず、自殺ではないと予告後、11月に薬による「安楽死」を決行した。
名優 リチャード・ドレイファス主演の映画「この生命(いのち)誰のもの」(1982年日本公開)では事故により植物人間になってしまった彫刻家が病院内での法廷審問を要求し、生命維持装置を外す「尊厳死」を勝ち取る。
「安楽死」と「尊厳死」 その違いは釈然としないが、先月のスケート・グランプリシリーズで氷上の侍となった羽生選手は間違いなく「尊厳死」の覚悟であった。
そして・・・・・ 銀幕で「人間の尊厳」を演じ続けた寡黙な男、高倉 健が役そのままに逝ってしまった。 
どうぞ良き新年をお迎え下さい!


文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎
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by kosakai_blog | 2014-12-20 16:09 | 社長の呟き
社長の呟き その4 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》       2013.1~2013.12
弊社社長 小堺裕一郎が、一般財団法人 日本橋倶楽部会報の編集後記(はし休め)にて、世情につき呟いているので今後掲載していきます。

『編集後記 2013.1』
昨年は(実は本年ですが)各界で活躍された多くの方々がお亡くなりになりました。
この新年号の校正日の朝にも日系ハワイ二世のD.イノウエ米国上院議員の訃報を知りました。
英語の話せない祖父の「一家を建てなおして欲しい」との願いが込められたミドルネームは「建(ケン)」。
やがてケン青年はかつて一番の敵から一番の友人なるまで日米関係の「建」て直しに奔走することになります。
臨終の言葉は出会いと別れの両方を意味する「アロハ」。
何て素適な言葉でしょう。
さて、「慌」ただしかった一年を「忘」れ、新たな「忙」しい一年を迎えるまでの瞬く間の正月休みでしたが、良い新年をお迎えのことと思います。(この3文字ともに心を亡くすと書くようです)
新会館完成まであと一年、倶楽部が会員の「心憩う」場となるようにと祈っております。

『編集後記 2013.2』
昔は東京にも30センチを超える大雪が良く降り、庭に兄と滑り台を作った事を思い出します。
ちなみに東京の過去最高積雪は1883年の46センチ、記憶に残る1936年の2.26事件の雪は2月23日の36センチ、戦後だけでも30センチを超える積雪は3日もあったそうです。
のんびりとした時代では、交通への影響など話題にもならなかったのでしょうが、大人になると雪化粧を楽しむ余裕がなくなってしまいました。
翌朝の真新しい雪に小さな靴跡をいくつも見つけると淡くなってしまった童心に気づかされます。
さて、新館完成まであと一年、会報には関連した内容が今後も増えてくることでしょう。
雪でかまくらを作る子供のようにわくわくしながらこの一年を心待ちにしたいと思います。

『編集後記 2013.3』
「守 破 離」とは武道、茶道、芸能など“道”とつくあらゆる世界で師の教えを守り、その後それを破る冒険をし、最後は独自の道へと師から離れて行く修行の段階を意味している。
悪しき慣習を守り、ルールを破り、人心から離れた道へ迷い混んだ五輪女子柔道指導陣の体罰問題は岡監事の巻頭挨拶にもあるように東京五輪招致に少なからず影響を与えそうである。
ところで五大陸を意味するシンボルマークからオリンピックを五輪と訳すのは日本独自のもの。
無論宮本武蔵の「五輪書」から拝借したものだが、剣の道を"離"まで究めた武蔵がこれを知ったら、さぞかし面喰らうことだろう。
守破離を歩む靴を履き違えた柔道関係者の道は険しい。

『はし休め 2013.4』
当倶楽部の会員である神田の老舗蕎麦屋の御主人H氏は二月に大変な火災に遭われた。
永いご無沙汰にもかかわらず参上したところ、年内での再建を誓う熱い意欲と「億劫別れて須臾も離れず」に反ってこちらが元気を頂いた。
三月は受験、卒業、花見などと慌ただしい月でもあるが、東京大空襲、東日本大震災など多くの大切な人々との離別を強いられた悲しい月でもある。
永い年月別れたままになろうとも心は一瞬たりとも離れてはいないと誓った人も多いことだろう。
さて「三寒四温」ならぬ「凍」「暑」の繰り返しであった三月をくぐり抜け、この会報がお手元に届く頃には銀座歌舞伎座が新開場している。
四月は桜の開花とともに温かい話題でさっそく出迎えてくれる。

※今後、編集後記を“橋 箸 嘴”の三文字をかけて「はし休め」とします


『はし休め 2013.5』
ビジネス街には世間の風に少し馴染み始めたかのような新入社員で溢れ、ベテランと新人が昼食や酒席で談笑している光景を見かけることも多い。
東横線・渋谷駅や小田急線・下北沢駅の地下化など電鉄の話題が多い中、夕刻の新駅では多くの老若男女がこぞって案内表示を覗き込む姿に遭遇する。
新しい出会いが芽生え、古いものが潔く散っていく時でもある。
マスターズゴルフでは初めて豪国人が優勝したが、終盤の熟若の攻防は見ごたえがあった。
名優ダスティン・ホフマンは何と75歳、今回は新鋭監督として映画公開を前に端然と来日した。
新旧物心の融合が日本橋倶楽部にはしっかりと在る。
それを垣間見られるのは寄るあてもない、ときめく出会いもない者の楽しみでもある。

『はし休め 2013.6』
1878年(明治11年)に日本橋區と京橋區が誕生したが、1947年(昭和22年)、両区は合併され中央区となった。
現在"日本橋"の冠称が付く19町名に旧日本橋區域内の地名を偲ぶことができるが、「石町」「駿河町」「薬研堀町」「芳町」「十軒店町」「安針町」など謂れある多くの町名が消えてしまったのは残念なことである。
しかし家康の外交顧問として活躍したオランダ人ヤン・ヨーステン(日本名「ヤヨス」)の拝領地跡「八重洲」は中央区となってからできた新町名だが、さすが唯一"日本橋"が頭に付かない。
その八重洲にお店を構える今月号巻頭挨拶の松岡理事はちゃきちゃきの江戸っ子、"日本橋"の冠称を戴くにはお似合いの粋な旦那衆の一人である。

『はし休め 2013.7』
発酵学者の小泉武夫氏によると、江戸時代の飲酒量は毎日三合。
現代人の3倍酒に強かった江戸っ子の喉を潤したのはほとんどが関西からの下り酒。
西高東低だが日本最古の蔵元は茨城県にある。
これからの季節、冷酒が美味い。
江戸川柳「酔い覚めの 水の旨さや 下戸知らず」に習い、「宵い(酔い)銭に 水をさしたる 江戸知らず」、締めに「酔い覚めて 倶楽部愉しく 江戸を知る」と今宵も参合としよう。

『はし休め 2013.8』
参議院選挙が終わり、今さらのような勝敗因の検証が行われるマスコミには食傷ぎみの方も多いと思うが、ここに爽やかなニュースを紹介する。
「僕らの一歩が日本を変える。」代表の青木大和君は19歳、もちろん選挙権はないが、今春高校生100人と国会議員の討論会を開き、今回の参院選では5000人の全国各地の10代の声を集めた。
活動の中心はFacebookなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)だが、投票率が戦後3番目に低かった中、現在慶応大生の彼とその仲間達が将来どんな有権者になるか期待を込めて見守りたい。

『はし休め 2013.9』
今夏はまさに酷暑である。
四万十市では41℃と国内の過去最高気温を更新した。
東京の8月の最高気温は38.3℃、昨年の35.7℃に比してわずか2.6℃差であるが、体感は全く違う。
人の平均体温は36℃、38℃を越えると熱中症になるが、今夏は外気温が越えてしまった。
意外と室内で起きやすく、室温30℃湿度60%からが危険ライン。
台所、トイレ、とくに浴室は湿度が高く危ない。
熱中症は英語で「Heat Disorder」つまり熱のコントロール不能。
「Heart」のコントロール不能に陥る「恋の熱中症」は気温と関係ないのでアール。
ともに充分な対策を!

『はし休め 2013.10』
原発汚染水問題、柔道界の不祥事などにより苦戦とのおおよその予想を覆して、東京が2020オリンピック・パラリンピック招致合戦に圧勝した。
本年1月に招致委員会は「たら・れば」のマラソンコースを発表している。
銀座から日本橋を渡り、神田、秋葉原を駆け抜け、浅草を折返し点として往復する。
日本橋は「はし休め」などとのんびりしていられなくなった。
親日国のトルコ、日本人から人気のある国スペインには申し訳なかったが、敗者への思いやり・気遣いも五輪の精神。
江戸っ子は粋な「おもてなし」で金メダルを目指すこととしよう。

『はし休め 2013.11』
「乾杯は日本酒で」の条例が今年1月京都市で施行されて以来、24の自治体が「最初の1杯は日本酒」などの乾杯条例を制定したそうだ。
九州ではもちろん焼酎を後押しする条例が成立している。
地酒の消費拡大を目論んでの対策だが、麦酒に始まって日本酒、焼酎、ワイン、仕上げの洋酒と秋風に乗って渡り歩く浮気鳥にとって、塀の中に落ちる罰則はないと知りつつも、各酒の秋波は悩ましい。
どうせ最期の島では「どの酒で、何のために」乾杯したことなど忘却の彼方に飛び去っているのだが・・・。
来春の新倶楽部会館披露宴での祝酒を想い、今宵もボトムアップするとしよう!

『はし休め 2013.12』
 いよいよ12月「師走」である。
本当に師が走るほど忙しかったのだろうか?
昔は年の暮れにも祖先の霊を弔う経をあげたため、僧が慌ただしく馳せる月「師馳す(しはす)」から転じて「師走(しわす)」という説が有力のようだ。
時は替わり、今は宅急便のお兄さん達が巷を馳せ、走りまくり、クリスマスパーティーでは「主おわす」、忘年会では「酒和す」、おまけにお受験で「子走す」と12月は子供まで忙しい。
心を亡くすと書いて「忙」「忘」、心が荒れると「慌」。
来年の日本橋倶楽部・新会館の竣工を祝って、晦日は「志和す」と心穏やかに結びたい。
どうか良い年をお迎え下さい。

                       文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎
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by kosakai_blog | 2014-07-31 11:52 | 社長の呟き
社長の呟き その3 《英国大使館での会見をまとめた抜粋記事より》 
Copying from FB page:「Japan Nuclear Update - British Embassy」
http://www.facebook.com/notes/paul-atkinson/japan-nuclear-update-british-embassy/10150111611771235

英国大使館での会見は、日本の原発の現状についてでした。
英国政府主席科学顧問(Chief Scientific Adviser)ジョン・ベディントン (Sir John Beddington)が代弁者をつとめ、数名の原子力発電の専門家も同席しました。
日本の現状について、彼らの状況判断は下記の通りです。
ご参考までに

●比較的悪い場合(1個の原子炉の完全メルトダウンとそれに基づく放射性爆発の場合)、避難エリアの50キロは人の健康の安全を守るために十分な距離でしょう。
もっと最悪な状況でも、(2個以上の原子炉がメルトダウンする場合)1つの原子炉のメルトダウンのときと比べ、被害にさほど変わりはないでしょう。

●現状の20キロ退避指示区は現状の放射能レベルにたいして適切な範囲でしょう。
このまま炉心への海水注入を続くことができれば、大きな事件を防ぐことができるでしょう。
これからさらなる地震と津波が起きた場合、海水注入ができなくなる可能があり、その場合上記のメルトダウンが起こる可能性があるでしょう。

●基本的に、専門家は東京住人の健康への悪影響はありませんと予想してる。
 健康に悪影響を起こすために現状の放射能の何百倍のレベルが必要。
 専門家はそのような状況にはならないと言う。
 (しかも、専門家は妊婦や子供へ影響するほどの放射能を基準にしていた。健康な大人にとってはさらに放射能のレベルが高くならないと影響はないという。)

●専門家は風向きは関係ないと言う。
 東京は現場から十分離れてるので、影響はないでしょう。

●海水注入を続けることができれば、原子炉が冷え、10日間後に状態は大きく上向くでしょう。

●日本政府からの情報は複数の独立した団体によりモニタリングされつづけ、放射能のレベルに関しての情報は的確と判断されてる。

●チェルノブイリとは全く別な状況です。
 チェルノブイリの場合、原子炉が完全メルトダウンし、手を付けずに何週間も燃え続けた。
 チェルノブイリでさえ、50キロに避難ゾーンがもしできたら、十分に人の健康を守ることはできたでしょう。
 チェルノブイリの場合、事件から何年も後まで現地の食料や水に含まれた放射能は一切モニタリングされなかったと、危険性についての情報も全く知らせなかったせいで、汚された食品、麦、牛乳や水などを食べ続けた現地の人々が病気になった。
 事実は隠されたチェルノブイリの事件とくらべ、今回の非常に開かれた福島の事件もその意味でも大きく異なるでしょう。

●ブリティシュスクールの学長が、休校をつづけるべきかどうかを尋ねた。
 専門家の答えは、放射能に関する恐れのためならば休校は必要ない。
 余震や建物の状態などに関する理由はありえるかもしれないですが、科学的に放射能の恐れは 子供にとっても全くありません。

●ヨード剤の補充に関して、専門家はヨード剤は現場で放射能を体内に吸収した場合や汚れた食料を食べた場合だけ必要と説明した。
 それに、ヨード剤の長期的利用は健康によくないと話した。

会見は驚くほどフランクで正確でした。
専門家の判断によれば、原発からの放射能の恐れよりも、地震と津波からの被害はもっと大きな問題でしょう。

専門家の判断を信じましょう!



《Japan Nuclear Update - British Embassy》
by Paul Atkinson on Tuesday, March 15, 2011 at 6:55pm

I have just returned from a conference call held at the British Embassy in Tokyo. The call was concerning the nuclear issue in Japan. The chief spokesman was Sir. John Beddington, Chief Scientific Adviser to the UK Government, and he was joined by a number of qualified nuclear experts based in the UK. Their assessment of the current situation in Japan is as follows:

* In case of a 'reasonable worst case scenario' (defined as total meltdown of one reactor with subsequent radioactive explosion) an exclusion zone of 30 miles (50km) would be the maximum required to avoid affecting peoples' health. Even in a worse situation (loss of two or more reactors) it is unlikely that the damage would be significantly more than that caused by the loss of a single reactor.

* The current 20km exclusion zone is appropriate for the levels of radiation/risk currently experienced, and if the pouring of sea water can be maintained to cool the reactors, the likelihood of a major incident should be avoided. A further large quake with tsunami could lead to the suspension of the current cooling operations, leading to the above scenario.

* The bottom line is that these experts do not see there being a possibility of a health problem for residents in Tokyo. The radiation levels would need to be hundreds of times higher than current to cause the possibility for health issues, and that, in their opinion, is not going to happen (they were talking minimum levels affecting pregnant women and children - for normal adults the levels would need to be much higher still).

* The experts do not consider the wind direction to be material. They say Tokyo is too far away to be materially affected.

* If the pouring of water can be maintained the situation should be much improved after ten days, as the reactors' cores cool down.

* Information being provided by Japanese authorities is being independently monitored by a number of organizations and is deemed to be accurate, as far as measures of radioactivity levels are concerned.

* This is a very different situation from Chernobyl, where the reactor went into meltdown and the encasement, which exploded, was left to burn for weeks without any control. Even with Chernobyl, an exclusion zone of 30 miles would have been adequate to protect human health. The problem was that most people became sick from eating contaminated food, crops, milk and water in the region for years afterward, as no attempt was made to measure radioactivity levels in the food supply at that time or warn people of the dangers. The secrecy over the Chernobyl explosion is in contrast to the very public coverage of the Fukushima crisis.

* The Head of the British School asked if the school should remain closed. The answer was there is no need to close the school due to fears of radiation. There may well be other reasons - structural damage or possible new quakes - but the radiation fear is not supported by scientific measures, even for children.

* Regarding Iodine supplementation, the experts said this was only necessary for those who had inhaled quantities of radiation (those in the exclusion zone or workers on the site) or through consumption of contaminated food/water supplies. Long term consumption of iodine is, in any case, not healthy.

The discussion was surprisingly frank and to the point. The conclusion of the experts is that the damage caused by the earthquake and tsunami, as well as the subsequent aftershocks, was much more of an issue than the fear of radiation sickness from the nuclear plants.

Let's hope the experts are right!
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by kosakai_blog | 2011-03-18 14:32 | 社長の呟き
社長の呟き その2 《東北関東大震災 元気をもらうメッセージ③》 
弊社社長が所属している2750地区ロータリークラブが招いた、職業交換のGSEプログラムのメンバーが2011.2.13~3.12まで来日した。
研修プログラムも全て無事終了し、翌日帰国という時に、彼らは東京で大地震と遭遇し、翌日車と電車を乗継ぎ、どうにかシカゴ市へ向け成田より出発、無事帰国することができた。
以下英文は、社長のやり取りのメールだが、かなりの綱渡りの帰国となった。

「地震の翌12日13:00チャーターバスでホテルを出発した彼等は、途中チャーターしたバスを降り、押上駅から列車を2本乗り継いで、ギリギリ飛行機(UN882)に間に合った。
チームリーダーのブラックバーン氏からのお礼とその帰国日の顛末、日本側の28日間の歓迎振りと帰国日のホスト側の涙ぐましいまでの努力、日本は必ずや立ち直る、今度は私達が助ける番であるなどの内容のメールが届いた。
そしてシェルターボックス(救援物資の入った小箱)(http://www.shelterbox.org/)を日本向けに送るというメールが届いたのでご紹介する。(当クラブの三井倉庫・田村社長がその受け入れでご尽力されている)
彼等もさまざまな意味で忘れられない日本研修となった。」
                                
David Phelps,
Could you please post the following on our District 6450 Newsletter and/or website?
 
Our Rotary District 6450 GSE Team just returned from an mazing 28 day journey to Rotary District 2750 in Japan.  We were treated royally each and every day.  The Japanese people are among the most kind and generous people I have ever met.  Even during and after the terrible earthquake, they were concerned about our well being, making sure that we were more than OK. 
 
The earthquake happened at 2:46 Friday afternoon, just before a 4:00 Farewell Party in our honor.  Though many of the 40 some guests could not make it for obvious reasons, some still did, even by walking up to ten kilometers to join us.  The party, though not as festive as hoped for, went on as planned with speeches, dinner, drinks, and even a little Karaoke.  
 
Three of our hosts from the party, Mine-san, Fujimoto-san, and Kumamoto-san, stayed at the hotel Friday night.  Saturday morning Kumamoto-san arrived at my hotel room door at 8:30 with two bags filled with rice cakes and bottled tea.  Mine-san and Fujimoto-san arrived shortly thereafter to make sure everything was alright and to start organizing our departure.  Our flight out of Japan was scheduled for 5:55 P.M., so we were scheduled to board a private bus at 1:00 for the 1 - 2 hour ride to Narita Airport.  Since some of the roads were damaged and naturally crowded the travel time to Narita was estimated to now be 5 - 6 hours.  The bus company was called and agreed to get the bus to the hotel as soon as possible.
 
As scheduled, at 11:00 Fukui-san and Kaizuka-san arrived at our hotel to escort us to the airport.  I don't know how Kaizuka-san got there, but I understand that Fukui-san walked 7 kilometers to fulfill his obligation of accompanying us to Narita.  Also magically appearing were Kojima-san and his wife and daughter, bearing gifts for us.  Again, I don't know how they arrived but I'm sure it took a great deal of effort for them to be there to give us gifts.  Amazing!
 
We finally boarded the bus at 11:30 with Fukui-san, Kaizuka-san, Kumamoto-san, and Seiko Aiba, one of the young professionals that will visit District 6450 in April/May as a japanese GSE team member.  As soon as we departed, Kumamoto-san brought out a bottle of shochouh (sp) a Japanese liquor made from potatoes and a large bottle of tea.  We all had a shochouh and tea cocktail to start the ride to Narita.  As we were driving along all of the cell phones seemed to be in constant use.  Hiraiwa-san, the inbound GSE team leader called to say our flight was still scheduled to depart on time.  She also took all of our flight information and used her computer to get us all checked in with United Airlines.  Mine-san called to say that he had contacted United to ask them to hold the plane for our late arrival. 
 
After 2 1/2 hours, we had only driven 20 kilometers, less than 25% of the way to the airport.  One of the phone calls apparently confirmed that the train to Narita was finally back in service, so we abandoned the bus and carried our bags down into the subway where Kumamoto-san purchased 9 tickets to the airport.  While this was happening 3 western businessmen came up to me asking if I knew how to get to the airport, so Kumamoto-san helped them purchase their tickets as well.  Two train rides and hours later we finally arrived at Narita at 5:00 to a throng of people, some laying on sleeping bags and small mattresses in the aisles, but most in line to check in for their flights out of Japan.  It took almost an hour, even though we were sent to the front of the line, for us to get checked in.  Dashing through the airport, through security and heading down an escalator to our gate, there above me were our four Japanese friends smiling and waving good-bye.  They were not going to leave us until they knew we were safely on our way.
 
While we were in transit and finally in the air, our hosts sent e-mails to our families letting them know that we were safe and finally headed home.  No one could have cared about us or for us any more than our new friends did.  As Kumamoto-san said many times throughtout our stay, "It's the Japanese way."
 
Finally, an appeal.  While Japan is a very modern, prosperous country, more than capable of providing for the well being of their citizens, they are now faced with a huge burden.  In time, the rubble will be cleared, infrastructure will be repaired, and homes and businesses will be rebuilt.  But I'm sure that the Japanese government and people will graciously accept any help that we can provide now and in the near future.  Already, Mark Dyer from the Rotary Club of Elmhurst is coordinating the delivery of the first 200 Shelter Boxes, with additional offers coming from Grenoble, France.  Rotary District 6450 now has strong contacts in Tokyo through Rotary District 2750 to expedite the delivery of goods and services.  Please lend a hand in any way that you can by supporting whatever charity or relief effort appeals to you.  Rotary District 6450 will undoubtedly initiate some program to support our friends in Japan.  Please give generously.
 
When the GSE team from District 2750 arrives here in Chicago please give them a warm welcome and make them feel like honored guests. 
 
Bob Blackburn
Protection Alarms North, Inc.
7323 Selig Place 
Downers Grove IL 60516
630-963-3020
630-963-4840 Fax
beebsalarm@hotmail.com
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by kosakai_blog | 2011-03-16 19:26 | 社長の呟き
社長の呟き その1 《小堺化学工業㈱としてできること》 
東北関東大地震にて被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。
また不幸にもお亡くなりになった方々、そしてその親族の方々へ心より哀悼の意を表します。

このたびの大災害は日本にとって戦後最大の危機と捉え、当社は以下のことを誓い、このために全社員一丸となって復興に邁進して行きます!

当社の方針として、以下のことを遂行するため、社員の協力をお願いします。

1. 人命の安全を最優先する
 ・得意先・仕入先・社員・一般の方々およびその家族の安全確保
 (不要不急の出張、個人旅行を控える 居所を明確にする)

2. 得意先の再興を最優先する
 ・得意先の窮状を鑑み最良のサービスを提供する
 (商品の供給、何を望んでいるか)

3. 商品を顧客へ供給する最良の方法のためには一時的なルート変更を認める
 (当社から商品が納入できなければ他社より、またその逆もある=呉越同舟)

4. 言動は慎み、服装は控えめに!
 (現在日本の人口の0.01%以上の方が亡くなったか行方不明です。周囲にもその関係者の方々が沢山います)

5. 節電・節約を心がけましょう!
 ・我々が節電すれば停電にならず、食糧不足も解消できます
 (奪え合えば足りず、分け合えば余る;相田みつを)


                                                             以 上

                                                取締役社長 小堺裕一郎
                                                 取 締 役 佐野 征男
                                                 取 締 役 小堺ひとみ          
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by kosakai_blog | 2011-03-16 10:42 | 社長の呟き



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