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食のサロン その68 《江戸・東京 食事情 ⑫ すきやき 》2015.12

牛肉食べぬは開けぬ奴といわれ文明開化の代名詞のようにもてはやされた食べ物がすき焼きである。
肉食文化が無かった日本人に合った食べ物としてもてはやされた。高村光太郎は「米久の晩餐」として鍋を囲み、すき焼きを食べる様子を詩に残している。
この米久は浅草に今もある老舗すき焼き店の事である。
近江の国で米屋を営んでいた竹中久次が近江から牛を引いて上京し牛鍋屋を開業したのが始まりとされている。
関西では鉄鍋で牛肉を砂糖と醤油で味付けし焼くように食すのが一般的である。
関東では牛肉を鉄鍋でネギ等の野菜と豆腐や白瀧と共に割り下を使いぐつぐつと煮込んでいわゆる牛鍋の状態で食べたようである。
今は関西、関東のこだわりはあるにしても双方の良い部分を取ってあまり東西の区別は無いように思われる。
初期のころは食べなれない牛肉をなじみのある味噌味の鍋で食べさせる店も多かったようである。
当時外国との窓口であった横浜には牛肉をぶつ切りにしてみそ味の鍋にして食べる「太田なわのれん」と言う店が今も営業している。明治のころは店名に今と言う文字を冠した牛鍋店が多くあった。
これは東京で初めての、と場が開設された今里に由来すると言う説がある。
慶応3年(
1867)に横浜の中川屋嘉兵衛と言う人が現在の芝白金のあたり今里の地にと場を開設したと言う史実がある。
今里直送の良質な肉を提供する店として今と言う字を冠したと言う話である。
後にそう言う店の中から暖簾分けされた店も今の字を使用した事であろうと想像できる。
新橋の今朝、浅草今半、人形町今半等が代表であろうか。
俳優であり歌手でもある加山雄三は年齢を重ねても若く元気である事にいつも感心するがそのスタミナ原は肉好きゆえであるらしい。代表作として若大将シリーズの映画があるが主人公の実家が老舗すき焼店として登場する。
頼まれたら嫌とは言えない正義感で行動的な若大将のイメージにはすき焼店の息子のイメージが合うのかもしれない。
都内には今も老舗すき焼店は多い。
明治創業の老舗としては東大生に愛された湯島の江知勝、江戸時代に犬のチンを扱う商売をしていた事を屋号にした浅草のちんや、牛佃煮が評判の日本橋の伊勢重等がある。
小堺化学工業㈱本社のある人形町では牛肉販売でも有名な日山のすき焼きが評判で水天宮参りや明治座での観劇帰りの客でにぎわっている。
坂本九の歌う上を向いて歩こうがアメリカでスキヤキソングと言われ全米ヒットチャートで1位になる大ヒットとなった事を記憶されている方も多いと思う。
アメリカで牛肉を使った日本料理としてのすき焼きのイメージが良かった事で相乗効果があったのかもしれない。
もっとも作詞を手掛けた詠六輔はアメリカでのヒットには複雑なものがあったように聞いている。
歌のヒットと共に元の歌詞を離れ英語の歌詞がいくつも作られて行く。
中には芸者ガールと共に食べたすき焼きが忘れられないと言うような事に成れば当然かもしれない。

          文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣


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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:59 | 食のサロン
食のサロン その67 《江戸・東京 食事情 ⑪ 料亭 》2015.11

江戸も文化文政の頃になるとグルメブームも到来し料理茶屋から料亭と言われる大きな料理店が登場する。
日本橋の料亭「百川」で巻起る勘違いによる騒動を面白おかしく話にした百川と言う落語がある。
オールドフアンなら昭和の名人三遊亭圓生の名口調を思い出す。

この百川は実在した料亭でペリー来航時に幕府の命により八百善と共に料理を提供したと史実に残っている。
圓生は落語「百川」の枕で日本橋浮世小路、鰹節で有名な「にんべん」のあたりに有った料亭と語っている。
百川と共にペリーに料理を提供したもう一軒の料亭が八百善である。
数ある江戸の料亭中で最も有名な一件と言える。
八百善4代目の残した料理本「江戸流行料理通」は八百善料理通と言われ現代にも通じる料理教本であると同時に江戸の料理と食文化を今に伝える貴重な書物である。
この八百善には数々の逸話が残っている。
ある粋人が八百善に上がり色々な物を食べ飽きたのでと茶漬けを所望したところ散々待たされた挙句代金が1両2分と言われる。
確かに美味しい茶漬けではあったがそれにしてもと尋ねると。
茶漬けに添えた香の物は当時春には珍しい瓜と茄子。
茶は宇治の玉露に米は越後の一粒選り。
時間が掛かったのは茶漬けに使う水を玉川上水の取水口まで早飛脚に汲みに行かせたとの事であった。
浅草の山谷にある八百善から玉川上流までと言うのは少々オーバーな様にも思えるが、高級を売り物にし、使用する水や食材にもとことんこだわった八百善ならではの逸話である。
この江戸を代表する料亭を訪れた歴史上の人物は多い。
江戸期には将軍徳川家斉も訪れた記録が残っている。
4代目栗山善四郎とは深い交友があり常連とされている酒井抱一や太田蜀山人、谷文晁。
葛飾北斎、渡辺崋山、幕末には天璋院篤姫、勝海舟。
明治の頃には木戸孝允、山縣有朋。文壇では森鴎外、芥川龍之介、菊池寛。
永井荷風はここで結婚式を挙げた記録が残っている。
時代を経て八百善も関東大震災で山谷の建物全てが焼失しその後も戦災による被害を受ける。
戦後はいくつかの地を経て銀座の共同ビルの地下に店を構え割烹家八百善として変わらぬ江戸の味を伝えていた。
真薯や魚素麺、白瓜の雷干し、デザートの白玉等八百善の名物料理が提供され予約もせずに訪れても嫌な顔をせず老舗としての接客対応をしてくれた物である。
その後新設された両国の江戸東京博物館に出店し銀座店は閉店された。
博物館を訪れる客にリーズナブルな江戸料理を提供していたがこちらも閉店し現在は八百善の店舗は無い。
現代において見栄えの良い京風料理が一般受けをする。
反面見えない処に手間暇をかける江戸料理は採算面等理解してもらう事が難しいのかもしれない。
東京でも日本料理店は京風料理全盛で江戸伝統の料理を提供する料理店は少なくなり残念に思うのは江戸っ子の僻みであろうか。
江戸料理の旗手であった店は無くなっても八百善の江戸料理は現在10代目栗山善四郎に伝わりさらに11代目に伝承されていると聞く。


                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣



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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:52 | 食のサロン
食のサロン その66 《江戸・東京 食事情 ⑩ どぜう 》2015.10

泥鰌(ドジョウ)は江戸庶民には好まれた食材である。
田圃の多かった当時には手に入りやすい食材でありかつ生かして飼っておく事が出来るため保存も出来ると言うことであろうか。
暑い夏に生命力の強いドジョウ鍋を食べて夏を乗り切る。
江戸時代から暑い時期には熱いドジョウ鍋を食べて暑気払いをしていた。
俳句の季語でもドジョウ鍋は夏の季語となっている。
もちろん冬の寒い日に食べるドジョウ鍋もおつなものである。
特にドジョウ鍋に付き物の輪切りにしたネギは冬には甘みが増して美味となる。
いずれにしても懐具合をあまり気にせずにタンパク質が取れるし丸ごと鍋にすればカルシウムもたっぷりである。
以前は町の魚屋でも生きたドジョウを売っていた物であるが今はドジョウと言えばペットショップで売られているらしい。
残念ながら家庭でドジョウを料理する事は殆ど無くなってしまったようである。
ドジョウ料理専門店と言えば浅草の「駒形どぜう」が有名である。
店の造りが江戸情緒をかもし出していると言う意味ではこの店の右に出る食事処は少ないと思う。
ドジョウでは4文字となり縁起を担いで「どぜう」と言う字を当てて店名にしたと言う事で本来の店名は越後屋と言うらしい。
ドジョウ料理に「どぜう」の文字を充てる店は多いがこの店が元祖であるようだ。
ドジョウの姿をそのまま使う丸鍋の他、柳川鍋や独特の味噌を使ったどぜう汁も評判が良い。
同じく浅草には「飯田屋」と言うドジョウ料理専門店がありこちらも明治創業の老舗である。
映画「男はつらいよ」のロケに使われた事でも知られている。
叔父の寅次郎が甥の満男に初めて酒を教える設定に使われた。
江東区高ばしの「伊せ喜」にはドジョウを割いて骨を取ったいわゆるヌキ鍋にしてすき焼き風に溶き卵を付けて食べる独特の食べ方のどぜう鍋がある。
こちらも江戸情緒の残る店内でその情緒に浸りながら料理を楽しむ事が出来る。
下町墨田区にも「ひら井」「桔梗家」と言う有名店があり繁盛している。
ドジョウ料理のひとつ柳川鍋は九州福岡の水郷、柳川の地名から料理名になったとされる。
こちらはササガキゴボウとの相性が良い。
骨も無くゴボウと山椒で泥臭さを消して食べる料理なので誰にでも食べやすい。
その他老舗のドジョウ料理店ではドジョウの蒲焼や唐揚げ等のドジョウ料理を提供している。
庶民の味であったドジョウも昔懐かしい味となりつつあるが江戸下町の食文化としても残して行きたいものである。
庶民派を売り物に我が国の首相が自らをドジョウと称したのもドジョウの響きが持つ素朴で親しみのあるイメージからであろうか。


                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣


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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:45 | 食のサロン
食のサロン その65 《江戸・東京 食事情 ⑨ とり 》2015.9

池波正太郎の時代小説鬼平犯科帳には当時の江戸の食べ物が紹介されているがその中で物語中の重要な舞台として五鉄と言う軍鶏鍋屋がある。
TVシリーズの鬼平犯科帳では中村吉右衛門演じる主人公の長谷川平蔵がその密偵たちと軍鶏鍋を囲んでのシーンが度々登場する。
当時から鶏肉はご馳走として食べられていたらしく事実江戸期より創業の鳥鍋屋も都内には残っている。
この五鉄のモデルと言われている店が都内に2件あるらしい。
作者に贔屓にされていたと言う事からも参考にされたであろう事と想像される。
一件は両国橋近くにある「坊主軍鶏(ぼうずしゃも)」で主人が仲裁に入り喧嘩を納めるために頭を坊主にしたと言う事から「坊主軍鶏」が店名に成ったと言われている。
もう一軒も墨田区にある「かどや」でこちらは水炊きや味噌鍋等で鶏肉を味わえる。
昭和40年代ごろまでは東京下町には各町内に鶏肉専門店がありご馳走としての水炊きや安上がりで栄養のある鶏モツの煮込み等良く家庭の食卓でも食べられたものである。
鶏モツの中にはキンカンと呼ばれ果物のキンカンに似た卵として産み落とされる前の卵黄にあたる物が含まれていたのも思い出される。
最近は
B-1グランプリなる大会があり山梨県甲府のご当地B級グルメとして鶏モツの煮込みが1位に成ったのは記憶に新しい。
若い
B級グルメファンには斬新に感じられたようでもあるが昔は似た様なものが東京下町等でも良く食べられていたような気がする。
山に囲まれた盆地である甲府では鮮度の良い魚が手に入りにくく鶏モツ煮が食文化として残った物と思われる。
主に蕎麦店のメニューとして食べられていたと言う。
東京で有名な軍鶏鍋屋としては神田連雀町の「ぼたん」、上野池之端の「鳥栄」がありいずれも風情のある建物とそれぞれの特色ある軍鶏鍋で客を迎えてくれる。
小堺化学工業㈱本社のある人形町にも歴史のある鳥料理店として「玉ひで」がある。
こちらも軍鶏鍋店であるが昼の親子丼を目当ての客が行列を作る光景は人形町名物となっている。
ちなみに最初に親子丼を考案したのもこの店とされている。
寒い冬に目の前で煮込まれる軍鶏鍋を思い浮かべれば江戸っ子ならずとも思わずよだれが出てくると言う物である。
少し余談になるが鶏の水炊きは九州博多の名物であり発祥の店は「水月」とされる。
「水月」では水炊きのスープは濁らさないよううまみを出して透明に仕上げる。
同じく有名店の「新三浦」では肉や骨から出るコラーゲン質で白濁したスープを使う。
「水月」のように透明なスープの水炊きを「みずたき」と呼び「新三浦」のような白濁したスープを使う水炊きを「みずだき」と濁って発音すると言うのも博多ならではの事で面白い。
   
                                 文責:小堺化学工業㈱ 営業部長 青木知廣



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by kosakai_blog | 2016-01-28 19:28 | 食のサロン
社長の呟き その8 《はし休めー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》  2016.1~2016.12
『はし休め 2016.1』

昨年は三の酉まであったが、果たして火事は多かったのだろうか?
「火事と喧嘩は江戸の華」、 ほぼ3年おきに起こった大火災の中でも3日間に渡り、10万8千人の江戸っ子とともに世界初の百万人都市を焼き尽くした「明暦の大火」はまさに三の酉まであった年に起きている。
当時3年続けて同月日の1月18日に恋の病で亡くなった17歳の3人の娘がいた。同じ振袖に袖を通した凶を絶つため、明暦3年(1657)1月18日、本郷・本妙寺にて焼き清めようとしたところ、強風にあおられた火まみれの振袖が江戸八百家町を火の海へと落としめた。
この別名「振袖火事」は江戸城天守閣をも焼失せしめ、以降再建されることはなかった。
皇居東御苑にその石垣を残すのみとなった天守台跡から眺めるお江戸は今年も元旦から多くの振袖姿で賑わい、今や大火を寄せつけない高層ビルは初日の出に映え、燃えるように聳え立っていることだろう。
                           
『はし休め 2016.2』

正月気分も去り、もう節分を迎えるが、取り残した新年会はもとより忘年会までも引きずり未だ友人らと楽しんでいる諸兄も大勢いるだろう。
しかし一月十七日の阪神・淡路、三月十一日の東日本という二大震災に挟まれ、大事な家族や友人を失った多くの方々はたとえ日数は短くとも長く辛く感じる二月でもあろう。
今年はうるう年である為、実際に今月は一日長い。
太陽暦と地球の自転速度とのずれを4年に1度修正する為のしくみだが、この太陽系に第9番目の惑星の存在する可能性をカリフォルニア工科大学が先月発表した。発見されたら、天王星、海王星に続き新王星とでもなるのだろうか?
まだ見ぬ夜空の新天(店)にワクワクしながら、その輝きに惑わされる愉しみがまた一つ増えてしまった。

 『はし休め 2016.3』
                       
「姑息」嫌な字だと母が良く言っていたが、嫁は嫌い、溺愛される幼い孫たちは好きなどと軽口は叩けない。
「暫らく」の「休息」から「その場しのぎ」を意味し、「卑怯」「ずるい」では決してない。
「女の足駄(あしだ)にて造れる笛には秋の鹿寄る」女性の色香に惑わされる男はいつの世も女性の「姑息」に翻弄されているが、素敵な女性と同行している時、通りすがりの女性の表情からその同伴者への厳しい評価が読み取れ、「女の敵は女」と笛に弱い都会の鹿どもは鹿脅しにあったようにすくみあがる。
「女三界に家なし」女性は順次、「親」「夫」「子」に従っていく定めと昔から言われるが、現代は既に「男三階にもどこにも居所なし」の為体ぶりだ。
しかし三月は敬愛してやまない姑から姫たちの雛祭り、無謀にも懲りない夜の檀家周りが始まる。
         
『はし休め 2016.4』

三月、島根県安来市の足立美術館にて魯山人の言葉に出逢った。
「なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人が出て来ないものかと私は待望している。(中略)仕事を役目のように了えて他のことの遊びによって自己の慰めとなす人は幸せとはいえない。政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのである。」慰めの遊びさえも持ちあわせていない自分に気付き、唖然とさせられた。
四月から新社会に出帆する人達にこのことを伝えるには勇気がいる。
過去「学生時代に学んだことをそのまま社会で活かせる者は幸せ。
これからは新しいことを学び・・・」と“遊び”との住み分けを幾度となく若者に訓じてきたことか。
“書く”ことはもとより、恥を“かく”ことにさえ遊べない小欄にとって、仕事に遊ぶ努力とは重すぎるが、これが達人の成せる技の原点なのかもしれない。
せいぜい仕事がてら観桜に遊ぶを努力目標としよう。

『はし休め 2016.5』

「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し」
口は悪くとも、五月の鯉のぼりのように腹の中には何のわだかまりもない江戸っ子のさっぱりとした気質を言い表しているものだが、最近は「五月(ごがつ)病」などと呼ばれるウエットな病気もあるくらいで、この表現も化石化しているようだ。
伊達の薄着で「宵越しの銭は持たねぇ!」などと豪語する猛者もいないし、すぐに「鯉口を切る」なんて短気ももう存在しない。
一方、「江戸っ子は五月(さつき)の鯉で口ばかり」とも言われる。
「五月蝿い(うるさい)わね!」などと言われる前に「さっきは“恋”の聞き流し?」と五月らしく、さらっと粋に異性に囁いてみたいものだ。
 
『はし休め 2016.6』

半世紀前の1966年6月29日、ビートルズは最初で最後の日本公演を武道館で行った。
米国人気TV番組「エド・サリヴァンショー」に1964年2月9日から3週連続で出演後、瞬く間に人気バンドとなったマッシュルーム・カット集団の世界ツアーは1966年6月24日から3日間のドイツ公演からスタートした。
そして次に向かった国が日本。
本年3月に90歳で亡くなったプロデューサーのジョージ・マーティン氏は名曲「イエスタデー」に初めて弦楽四重奏を使うなど、今までの常識を打ち破る新しいスタイルを彼等とともに創りあげた。
早世したマネージャーのブライアン・エプスタイン氏と彼がいなかったら、他社のオーディションでは落とされ続けていたビートルズは世界のそして世代を超えて愛される存在にはなっていなかった。
武道館でのロック・コンサート初開催は当時異論も多かったようだが、今となっては「It seems like only YESTERDAY ! 」

『はし休め 2016.7』

「火事と喧嘩は江戸の華」とは江戸っ子も随分荒っぽいことを言ったものだ。
しかし、これは江戸・町火消しの威勢の良さを表現したもの。
お江戸265年の間に大火は96回、三年に一度おきている。
木と紙でできた家々を破壊して延焼防止するのが当時の消火法。
火消は先陣を争って屋根に上り、纏を振り上げ、打ち壊す家を示し、火事場を仕切る組同士の命がけの喧嘩となる。
因みに「いの一番に駆けつける」とは江戸城に最も近い「い組の一番」から来ている。
真っ暗な夜空に真っ赤な火花、江戸時代の野次馬は現代の花火大会のようにパーフォーマンスとして火事を観ていたのかもしれない。
会員の煙火店「丸玉屋」小勝さんの声はまるで遠雷のように太く、ずどんと響く。
華火師の安全に必要不可欠なDNAは導火線のように延々と引き継がれている。
今夏七月も夜空の鮮やかな華と轟き渡る音とともに訪れる。 
      
『はし休め 2016.8』

永六輔が八と九に再会するため遠くへ逝ってしまった。
八・九とは作曲家・中村八大と歌手・坂本九。
この六八九トリオで名曲「上を向いて歩こう」を昭和36年、世に送り出した。
中村メイコが神津善行と結婚すると告白したところ、六輔の目からポロポロと涙がこぼれ、この失恋歌が生まれたと言う。
さて浅草生まれで洒脱な彼は『「粋」は「米」を「卒業」すると書き、「米が立って」粒揃いになる様』と語っている。
混ざりけが一切無く、キメ細かく、そしてさりげなく洗練されている風体や気性。
関西では“すい”と読み、「不粋(ぶすい)」は嫌われ、関東では「野暮(やぼ)」は「粋(いき)」に縁がない。
ところで八十八、九十と書いて「粋」。
八十九が抜けているが、どんな桁数の数字でも各位を二乗して足し算をすると不思議だが一か八十九に必ず行き着く。
「粋」を地で行く細田前理事長は今月八十九歳になられるが、この見えない「字間」を経てさらに「粋」を極められことだろう。
             
『はし休め 2016.9』

「酔い醒めの水 下戸知らず 」とは言い得て妙である。
自然を詠む俳句と違い、季語不要の川柳は春夏秋冬、毎夜同じ繰り返しの呑兵衛にとって居心地は良いが、「江戸っ子は宵越しの金(銭)は持たぬ」の故事に至ってはただのやせ我慢だなとつくづく自省。
「戸」とは律令制での課税単位、その税額によって婚礼時での酒量を大・上・中・下と定めたことから酒に対する強さを表すようになった。
八月のリオ デ ジャネイロ・オリンピックの生中継は昼夜真逆のため、小欄はとっくに前後不覚となり、「宵越しのメダル 上戸(漏斗)知らず」となることしきり。
日本の金メダル12個は16個の東京大会、アテネ大会に及ばなかったものの、メダル総獲得数41は過去最多だ。
再びリオを舞台として今月7日から12日間、パラリンピックの躍動が見られる。
さて4年後の東京オリンピック・パラリンピックはお膝元、吉報は「宵(酔い)前の金(きん) 江戸知らす」と期待したい。

『はし休め 2016.10』

「春夏秋冬」 秋のみ“偏(へん)”と“旁(つくり)”から成るが、それぞれの四季を“旁”として彩った美しい漢字がある。
「椿(つばき)榎(えのき)楸(ひさぎ)柊(ひいらぎ)」
「鰆(さわら)魚夏(わかし)鰍(かじか)鮗(このしろ)」
「楸」を店名にした老舗オイスター・バーが銀座にあるが、なるほど秋の旬を“飽き”ることなく味あわせてくれる。
「さんま」が「かじか」になぜ席を譲ったか不思議だが、「秋刀魚」の字には先人の視的感性が溢れて出ている。
「鰍」はその容姿を“愁う”必要はない。
「ゴリ」「ドンコ」などと呼ばれ、焼物はもとより汁物や骨酒まで味では少しも引けを取らない。
さて明治41年以来、日本橋本町の薬種商達によって執り行われてきた「薬祖神祭」が33年ぶりに遷座された新社殿にて今月行われる。
神殿を囲む石柱には寄進により日本橋倶楽部の名も刻まれている。
秋酒「ひやおろし」をお神酒に訪れて頂きたい。
    
『はし休め 2016.11』

先日、ブルックナーの交響曲第7番をズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で聴くことができた。
ブルックナーの作品中、最も成功したこの交響曲は1885年、ルードヴィヒ二世に献呈されているが、第二楽章アダージョは1883年に亡くなったワーグナーに捧げられた。
このバイエルン国王はパトロンとしてワーグナーを寵愛し、ブルックナーはワーグナーを師と仰いだ。
日銀本館や中央停車場(現東京駅)を設計した辰野金吾は出身地唐津で英語を習った恩師高橋是清の後を追って上京する。
工部省工学寮(現東大工学部)に入学し、鹿鳴館、開東閣、三井倶楽部などを設計した英国人コンドルを師として大成功を収め、日本橋・北詰にあった「帝国製麻ビル」も設計している。
いま1896年竣工の日銀・本館を室町三丁目の交差点から眺めることができる。
ここからこの先百年は拝めなくなるだろう秋陽に翳る花崗岩の建物を眺めながら、辰野も師とともに渡った名橋・日本橋まで歩くのも楽しかろう。 

『はし休め 2016.12』

過日、「箱根駅伝ミュージアム」を訪れる機会があった。
早稲田、慶應、明治、東京高師(現筑波大)の四校が出場した大正九年の「四大校駅伝競走」から始まったこの余りにも有名な駅伝の現在名は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。
関東学生陸上競技連盟が主催するため関東の大学のみ出場権を有する。
第75回(1999年)大会から復路の第10区は日本橋を渡って、読売新聞本社前のゴールへ向かうように変更された。
これは「名橋・日本橋保存会」などの地元団体が東海道の始点である日本橋を通過する意義を熱心に説いたからである。
橋から1キロメートル先のゴールまで、シード権をかけた熾烈なドラマは橋北詰を左折してから幕が開くが、江戸時代から続く老舗眼鏡舗の十四代目当主が「駅伝も室町三丁目の交差点まで来てくれないと『益出ん!』」と呟いていたのを思い出す。
お江戸日本橋の新年は三日昼九つ半から箱根からの疾風で明ける。


文責:小堺化学工業㈱ 日本橋倶楽部広報委員長 小堺 裕一郎     
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by kosakai_blog | 2016-01-25 19:37 | 社長の呟き
社長の呟き その7 《妄想「倶楽部と黎明期の日本橋」ー日本橋倶楽部会報より一部抜粋ー》 2015.7

妄想「倶楽部と黎明期の日本橋」

                      2015年7月号「巻頭挨拶」

                      理事 小堺裕一郎

「日本銀行のそれとたがわない紋様飾りが施された重々しい扉の前で、静かに目を閉じると猪苗代の穏やかな湖音とともに母の呼ぶ声が聞こえてきた。扉が開かれる音に目を開けると大會堂の中に恰幅の良い人物の姿を探し求める。万雷の歓声と拍手は、その人物が口を開くまで鳴り止まなかった・・・・・。大正4922日、それは日本橋俱楽部における北里柴三郎主催の野口英世の帰朝講演会の開会を告げるものであった。」

2012年、東日本大震災後の福島県復興支援旅行で「野口英世記念館」を訪ずれる機会があった。館内で偶然見つけたのが15年振りに帰国した英世の帰朝講演会を日本橋倶楽部で開催したとする一枚の写真である。

柴三郎は明治18年(1885ベルリン大学のコッホ博士の下へ留学する。

後に世界的に評価の高い細菌学者に成長した彼は明治27年(1894)、香港で猛威を振るっていたペスト菌を発見したが、その翌週にも仏学者が同地で発見する。2人は共にその第一発見者とされたが、その後柴三郎は第一発見者かどうかの論議で渦中の人となる。昭和51年米国の学者らの研究によってペスト菌の第一発見者であると発表されたが、実に80年後のこととなる。また明治34年(1901)に創設されたばかりのノーベル賞の初代候補者にも挙がりながら母国医学会の中傷に会い、受賞を逃している。

英世は柴三郎が創設した伝染病研究所に明治31年(1898)に入所した。彼の支援により明治33年(1900)に米国へ留学後、ロックフェラー医学研究所研究員として細菌学研究で頭角を現す。ノーベル賞候補として3度も名前が挙がったが、昭和3年(1928)アフリカの地で研究対象であった黄熱病に自ら罹患し、51歳の若さで、その3年後の昭和6年(1931)に柴三郎が脳溢血により78歳で亡くなり、明治・大正の近代日本黎明期に予防医学の基礎を築いた師弟はそれぞれ生涯を閉じるのである。

「旧伝染病研究所」(現・東京大学医科学研究所)の瀟洒な煉瓦造りの建物が白金台にある。内田祥三設計による昭和12年(1937竣工のこの建物の近くにある「近代医科学記念館」には両氏に関する資料が展示されている。また柴三郎自ら創立したこの「伝染病研究所」初代所長を辞し、大正3年(1914年)に設立した「北里研究所」もここからほど近い場所にある。この師弟の魂はこの地に留まり見守っているようだ。

日本橋は江戸末期から明治にかけて海外科学の習得の場所であった。シーボルトの定宿であった「長崎屋」(現室町4丁目)は蘭学・医学の発信地と言われており、英世の講演会場として当倶楽部を選んだ柴三郎の思いを感じずにはいられない。初夏の橋上から眺める日本橋川の緩やかな流れは長い歴史の川音が聞こえて心地よい。
                       文責:小堺化学工業㈱代表 小堺裕一郎


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by kosakai_blog | 2016-01-25 19:19 | 社長の呟き
第27回 MNC勉強会(於:分とく山)

◆開催日時
2016年1月16日(土) 10時~1330

◆開催場所
港区南麻布「分とく山」

◆参加者
MNCメンバー、小堺化学工業関係者および関連企業、オブザーバーなど40名

◆話題提供のテーマと概要

MNC第27回 2016年の勉強会及び新年会の報告

1部勉強会

テーマ1.和食と食育

話題提供者 分とく山 料理長 野崎洋光氏

「和食」がユネスコに世界無形文化遺産として登録され、和食は料理として注目されるだけでなく、健康食としても、食育の上でも注目されるようになりました。

今回の野崎氏の話題提供は、日本の食料自給率、フードマイレージを加味して食育の意味、食材の節約などについて、これまでの経験を例にし、話題提供した。

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テーマ2.;新年に向けての危機管理について 

話題提供者 相模市役所 参事 三浦直人氏

陸上自衛隊の武山駐屯隊の隊長の時、2011年3月11日に東日本大震災に会い、隊長として東北地方へでかけ、危機管理を現場で経験し、さらに相模原市役所危機管理局において、市民の危機管理に従事している。そこで、新年の心構えとして「危機管理」をテーマに話題を提供した。結論として、危機管理の訓練があれば、災害時の訓練を経験し、「危ないと思ったら自分自身の判断で避難できる判断を会得しておくこと」が重要であることを強調していました。

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2部新年会(交流会)

「分とく山」総料理長の野崎洋光氏および「分とく山」本店のスタッフのおもてなしによってつくられた環境のもとで、「分とく山」の美味し料理を、出席された宝酒造、キリンビール、MNC会員が提供してくださった日本酒、発泡酒、ワイン、シャンペン、高級梅酒を楽しみながら飲み、話題のつきることなく意見交換が盛り上がった。

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雑感

正月に結びつき、日本の伝統食の基本である「おせち料理」と庶民の料理の代表である「おでん」の話しは、和食ブームを見直し、和食を理解するきっかけとなり、出席者が満足されたことと思って言います。



謝辞

分とく山のスタッフだけでなく、小堺化学工業株式会社と関係の深い企業様の参加と各企業からの飲み物の寄贈にお礼申し上げます。



追伸

2017年のMNCの研究会及び新年会は2017年1月21日(土)10時からの予定です。


                                     文責: 弊社顧問 成瀬宇平


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by kosakai_blog | 2016-01-25 16:27 | MNC(みんなのネットワーク)



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